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浅田真央、30歳に 「自分が目指していたのは、今日のような演技」ソチ五輪後に語っていた重圧と歓喜 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAsami Enomoto/JMPA

posted2020/09/25 15:00

浅田真央、30歳に 「自分が目指していたのは、今日のような演技」ソチ五輪後に語っていた重圧と歓喜<Number Web> photograph by Asami Enomoto/JMPA

ソチ五輪のシングル、浅田真央のフリープログラムは世界中を感動の渦に巻き込み、多くのトップスケーターたちから賞賛の声があがった

自分の心の思うまま、行けるところまで。

 自分の武器がジャンプであり、トリプルアクセルであること。中学生の当時から、変わることなくそう口にしてきた浅田は、'09年にジャンプの修正の必要を感じ取ると、そのシーズン後、根本的な改革に着手した。結果が出ないことに不安を感じることもあっただろう。それでも地道に練習してきた。

 ジャンプばかりではない。毎年新しいプログラムに取り組む中で、表現することを学んでいった。

 そうした積み重ねの根幹にあったのは、チャレンジし続けることだった。分かりやすいところでは、バンクーバー五輪ではトリプルアクセルにショート、フリーで計3度挑んだ。

 その歩みを言い換えれば、自分を更新していく、新しい自分に出会いたいとでも言うべき挑戦への意志と、その足取りである。

 あるいは、すでに定められた枠の中でのベストを尽くすよりも、ただ自分の心の思うままに行けるところまで行ってみたい、より高みを目指したい、その足跡でもあった。

「自分の気持ちが、もう1つ上に伸び切らなかった」

 と言うショートの失敗から、追い込まれて気持ちが伸び切ったとき、培ってきたすべてを出した。それがあの4分間ではなかったか。振り返ってみて、そう思える。

「4年間よかったと思えると思います」

「自分が目指していたのは、今日のような演技でした」

「(これからの)4年間よかったと思えると思いますし、その気持ちがどんどん強くなるんじゃないかなと思います」

 フリーが終わったあとの浅田の言葉も、印象的だ。

 では、あれからひと月とちょっと経って迎える世界選手権は、浅田にとってどんな場となるのだろうか。

 ソチから帰国した後の記者会見では、世界選手権に触れてこう語っている。

「今度はショートプログラムもフリーも結果をそろえて、その後のアイスショーで皆さんに感謝の滑りを見せたいです」

【次ページ】 最善を尽くして感謝を伝える場所、世界選手権。

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