猛牛のささやきBACK NUMBER
初打席初ホームラン&初お立ち台・大下誠一郎って何者? 父が手作りしたバッティングセンターで……
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKyodo News
posted2020/09/20 09:00
初打席初ホームランを放った大下。中嶋監督代行も求めていたという明るいキャラクターはオリックスにどんな効果をもたらすか
「入ったっち、思わんかったんですけど」
“初”づくしのこの日の最後は、初のお立ち台。本塁打をこう振り返った。
「打球が低すぎて、入ったっち、思わんかったんですけど、一塁ベース回ったぐらいで、ファンの方々の声援が聞こえて、入ったと思いました。素直にうれしいですし、もっともっと頑張らないけんなっちゅうふうに思いました」
愛嬌たっぷりの北九州弁で、また観客を喜ばせた。
高校からは生まれ育った北九州市を離れて、栃木県の白鴎大足利高、白鴎大へと進んだが、周りの影響を受けることなく北九州弁を貫いてきた。
ホームランボールをどうするか聞かれると、迷わず「親父に渡したいと思います」と答えた。
「親父も毎日病気で頑張ってるんで、自分が支えてやろうと思って、毎日野球やってるんで、親父のためにもこれからも頑張りたいと思います」
父の一雅さんは、野球に打ち込む大下を全力で応援してくれた。
父のためにも勝ち取りたかった支配下登録
建設業で働いていた一雅さんは、大下が小学3年生の時、家の隣を工事して練習場を作ってくれた。打撃マシンを購入し、ネットも設置した、まさに大下のためだけのバッティングセンター。そこで毎日夜遅く、自分が納得のいくまで打ちまくった。
大下が高校3年生の時、一雅さんは脳内出血で倒れ、今も車椅子での生活を送る。そのことを機に、大下は家族を支えるためにプロ野球選手になろうと決意した。
昨秋、育成ドラフト6巡目でオリックスに指名された。育成契約でも、「入ってしまえば一緒。ここから自分が頑張れば、上がれる」と迷うことはなかった。
その決意の通り、1年目の途中で支配下登録を勝ち取り、「親父の病気のこともあるので、何としても、1日も早く支配下になりたかったんで、よかったです」と語っていた。そして初打席で本塁打という快挙だ。
試合後、一雅さんに電話して喜びを分かち合った。
「ほんとによかったなー。これからが勝負やけん、頑張れ」と背中を押された。