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五輪競技を福島に迎える担当者。
「あづま球場はレガシーになる」 

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芦部聡

芦部聡Satoshi Ashibe

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posted2020/05/14 07:30

五輪競技を福島に迎える担当者。「あづま球場はレガシーになる」<Number Web> photograph by Satoshi Ashibe

緑川英将さん。

【福島あづま球場の運営】
今大会、東京から遠く離れた開催都市は、急遽マラソン・競歩会場となった札幌だけではない。野球とサッカーが東北の被災地でも行われるのだ。地元での開催に燃える福島会場担当者に聞いた(取材は五輪の延期決定前に行われたものです)。

 東京2020は東京だけのものではない。一都一道七県をまたいで開催される広域的なスポーツイベントである。大会組織委員会には開催自治体の職員が数多く出向しているが、福島県庁から派遣されている緑川英将さんもそのひとり。福島県営あづま球場で実施される野球とソフトボールの準備に奔走している。

「私は福島県いわき市の出身で、小学校から大学まで福島県内の学校に通い、そのまま福島県庁に就職したんです。生まれてからずっと地元だけで生活が完結していたのに、まさか東京五輪の仕事で県外で働くことになるとは思いませんでした」

 緑川さんが所属するのは大会運営局会場マネジメント部。福島県の関係各所とも連繋し、円滑な大会運営に向けて会場の運営計画を策定するのがミッションだという。

「さまざまな部門からあがってくる情報を集約して、滞りなく会場の運営ができるように調整するのが私の役目です。たとえば観客の輸送を担当するチームから『会場までのバスの運行スケジュールはこのようにしたい』という要望を受けたら、警備などの他部門とも情報を共有して、計画を立案する。球場内に案内図を設置したいという計画があって、図面上では問題ないように思えても、実際に現地に赴くとその場に緩い傾斜がついていて対処が必要なことが判明したり……最適解を探し出すのが難しいこともありますが、汗をかくことを厭わずに懸念材料、不安材料をひとつずつ消していく。こんなに細かいところまで詰めておくのかと驚くこともありますが、すべてはアスリート、観客の皆さんのためです」

 あづま球場の収容人員は最大で1万4300人。野球が1試合、ソフトボールは2日間で6試合がおこなわれる(ソフトボールは1枚のチケットで3試合観戦できる)。東京五輪全体での観客動員数は780万人を想定しているが、福島県を訪れる観客は野球とソフトボールを合わせても5万人弱。わずか3日間、たったの7試合のために緑川さんは心血を注いでいるのだ。

「たしかに福島県での東京五輪は3日間ですが、7月24日の開会式に先駆けておこなわれる22日のソフトボールの試合で、東京五輪は幕を開けます。注目度は高いですし、東京五輪における福島県の存在感は大きいものがある。加えて後世にわたって大きなレガシーが残ります。あづま球場は全面的に改装され、グラウンドは最新の人工芝に張り替えられました。プロ野球の試合にも対応できるスペックを備えた魅力的な球場になりましたが、レガシーとはハード面だけではありません。オリンピックで福島が注目されることで、東日本大震災の被害から復興している街の様子を知ってもらえる。福島の良さや魅力を知ってもらえる機会になる。あづま球場周辺は沿岸部に比べると被害が少なかった地域ですが、運動公園内の体育館が避難所として利用されていたし、震災の記憶は決して消えることはありません。個人的には復興は道半ばだと感じますが、それでも前進する福島県の現在を世界中の人々に知ってもらえることは、われわれのような大会関係者だけでなく、県民の皆さんも前向きに捉えています」

五輪の後もスポーツの仕事を。

 東京五輪を“復興五輪”と位置づけた意義とは、まさにこういうことなのだろう。

「東京五輪閉幕後、私は福島県庁に戻ることになるでしょう。どういった部署に配属されるか、私の一存で決まることではありませんが、できることならスポーツ関係の仕事ができるといいですね。あづま球場がある福島県の県北地域には甲子園常連校の聖光学院もありますし、野球熱が高い地域でもある。全国大会を誘致するなどして、あづま球場を“聖地”にしたいという個人的な野望はありますが……(笑)。どのようなかたちであれ、東京五輪のレガシーを受け継いでいくのも、福島県に与えられた使命だと思っています」

緑川英将みどりかわひでのぶ

1993年8月27日、福島県生まれ。'16年に福島大学人間発達文化学類を卒業し、同年から福島県職員として県庁に勤務。小学生時代にソフトボールチームへ入団したことをきっかけに野球に親しみ、大学では準硬式野球部に所属し東北選抜選手としても活躍した。'19年4月より福島県から東京2020大会組織委員会に出向。野球1試合とソフトボール6試合が実施される福島県営あづま球場での大会運営を担当している。高校時代に地元福島で東日本大震災を経験しており、“復興五輪”への思いは強い。

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