オリンピック4位という人生BACK NUMBER

<オリンピック4位という人生(8)>
アトランタ五輪「思い出す曲がり角」  

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

PROFILE

photograph byAFLO

posted2020/04/05 09:00

<オリンピック4位という人生(8)>アトランタ五輪「思い出す曲がり角」  <Number Web> photograph by AFLO

陸上5000mで4位となった志水見千子。リクルートの同僚・有森裕子は同じ日、マラソンで銅メダルを獲得していた。

到達をなぜ見てくれないのか。

「もう少しだったね」。日本に戻ってから、何度こう言われただろうか。「あと1秒だったじゃん」。正確には1.13秒だ。ブルネットとの差、3位と4位の差、メダルを手にした者とそうでない者との差……。

 4年に一度しかない、わずか15分間に、自分をあますところなく隅々まで出し尽くしたという到達をなぜ見てくれないのか。その重さはメダルわずか数百グラムと天秤にかけられ、劣るのか。そうした諦めのような屈折があった。その暗く深く沈んだ時期に、あのカーブが蘇ってきた。

 私は、あそこでなり振り構わず前のふたりを視界からどけてしまうべきだったのか。とにかく“さんばん”に入るために、最後までもつのだろうかなんていう不安や怖れなど振り捨ててしまうべきだったのか。

 そうしていれば「おめでとう」と言われたのだろうか。おそらくそうだ。

 それがオリンピックというものだ。

 たくさんの人が見ていて、その人たちの願望をかなえるための装置であり、いったんそこに立った競技者は否応なくその巨大な渦に巻き込まれるしかない。

 それが理解できなかったのは私がまだ子供だったということかもしれない。

志水に五輪を意識させた有森裕子。

 そういえば、そもそもはあの人だ。オリンピックという怪物のようなレースに挑んだのも、あの人がいたからだ。

 あとからリクルート陸上部に入ってきた4つ年上のランナー。横一列でスタートすれば私たちより遅かったのに、だれよりも長く最後まで走っていることができた人。「オリンピックに出たい」「メダルがとりたい」と口にできた人。そうやって小出監督に食いさがるようにして、本当にオリンピックに出てしまった人。

 最初はあの人を冷静に見ていた私たちも、バルセロナのスタートラインに立ち、いちばんを争いながらモンジュイックの丘を駆け上がるころには「あの人、本当にいっちゃったよ」とテレビの中の有森裕子というランナーを見上げていた。それから急に深夜の寮で画面を見つめているだけの我に返って「私たちも真剣にやらなきゃまずいよね」というそわそわした気持ちになった。

 それがなければ田舎育ちの私はオリンピックなんて想像しなかったかもしれない。

【次ページ】 あのカーブのことを考えている。

BACK 1 2 3 4 NEXT
志水見千子
有森裕子
小出義雄
オリンピック・パラリンピック

陸上の前後の記事

ページトップ