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<オリンピック4位という人生(3)>
ミュンヘン五輪「神からのメダル」 

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byPHOTO KISHIMOTO

posted2020/01/26 11:30

<オリンピック4位という人生(3)>ミュンヘン五輪「神からのメダル」<Number Web> photograph by PHOTO KISHIMOTO

レスリングフリー62kg級で4位となった阿部巨史。メダルの期待をその一身に背負っていた。

スーツケースひとつでニューヨークへ。

 何も持たずに帰ったオリンピアンの居場所などないと、誰かに面と向かって言われたわけではない。あるいは他者は阿部のことをそう見ていなかったかもしれない。ただ勝利以外の価値観を否定してきた青年は敗者になった自分を責めた。これまでいた世界で生き続けることはできなかった。

 1973年の春、ミュンヘンから戻ってわずか半年後、阿部はスーツケースひとつでニューヨークへと旅立った。

「自由の国でしたから、憧れていた部分があったんです。漠然とレストランに関連する仕事をしようと考えていました」

 部屋を借り、日本の食品を輸出する企業に就職し英語を覚え、やがて永住権を取った。

 レスリングのオリンピアンだったことは周囲にも知られ、老舗スポーツクラブに請われて競技も続けていた。1976年、モントリオール五輪前の全米選手権では直前の世界選手権で2位となった選手を破って優勝し、日本でも阿部の復帰が噂された。メダルは現実的な距離にあった。だが、阿部が元の世界に戻ることはなかった。

「考えてみればニューヨークからモントリオールまでは飛行機でたった1時間でしたね……。一度やめたことで意地になっていたのかもしれません。ただ、すべてを捧げてやってきて、それでも負けた。私はアメリカに骨を埋めるつもりで行ったので」

秘してきた悪夢からの救世主。

 別の世界で、別の人生を生きると阿部は決めていた。それがあの敗北を忘れる、ただひとつの方法だったのかもしれない。

 ただ、そんな阿部をあの夢が追いかけてきた。アメリカに渡った直後から夜をさいなみ、否応なく過去へと引き戻した。

「あの夢が10年くらい続きました。おそらく私はレスリングで負けたことが、4位で終わったことがよっぽど悔しかったんだと思うんです。心の奥ではあの時のことがずっと消えていなかったんでしょう」

 喪失感と自己否定の連鎖と決別しようと、前へ進もうとする足を掴み、泥沼へと引きずり込んでいるのは自らの手である。

 その地獄からどうやって解放されたのか。

 話がそこまでくると、阿部は押し黙った。拒絶ではない。何かを待っているような、そんな沈黙だった。

 人生を自ら否定し続ける人間を救いうるものとは何だろうか。あるとすれば……

 ――それは神でしょうか。

 そこで沈黙は破られた。

「それは……、聞かれない限り、自分で言うべきことではないと思っていたんです……。他人に押し付けることではありませんから。ただ、私は神に救われました……」

 あの夢にうなされ続けていた阿部は37歳の冬、教会の戸を叩いた。

「私は無神論者でした。神様なんているわけないと。弱い人間がでっち上げているんだろうと。弱い人間はそうやって生きていけばいいと、ずっとそう思ってきました」

【次ページ】 イスラエル代表の選手に起きた悲劇。

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