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日大アメフト部の真実、その光と影(前編)
あのタックルが生んだ断層と空中分解。 

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2019/12/28 19:00

日大アメフト部の真実、その光と影(前編)あのタックルが生んだ断層と空中分解。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

競技以外の面で大きな注目を受けた1年半。日大アメフト部に「在籍した」選手の思いは、千差万別だった。

グラウンドではクールな男だったが。

 宮川はあのタックルに象徴されるような人間だろうか。

 贄田は動画のワンシーンによって「悪質」と、括られる前の宮川をよく知っていた。

 入学まもない頃、自宅の方角が同じだったことから、よく一緒に自転車で帰った。

 深夜0時近くまで汗を流し、夜道に並んでペダルを漕いだ。

 途中でいつも立ち寄るコンビニがあり、今日はあのかわいい店員の女の子がいるだろうか、いないだろうかと当てっこをしたりした。

 体躯と才能にめぐまれ、将来を嘱望されるエリート選手、グラウンドではクールなイメージの強かった宮川が、そんな他愛のないことで無邪気に笑うのが印象的だった。

「あの状況になったら、ぼくだってやってしまったかもしれない。あのタックルをしていたかもしれません。出ている選手はチームに対しての責任がありますから……」

 宮川に起こったことは自分たち全員に起こりえた。贄田にはそう思えて仕方なかった。

 つまり、創部79年の歴史の中でいつか起こったであろう事件の交差点に、なにかのめぐり合わせで居合わせてしまったのが宮川だったと、そういう見かたである。

「きっと処分は解除されて秋には」

 一方で宮川に別の視線を向ける者もいた。

 5月29日、関東学生アメフト連盟が監督とコーチの除名処分と、チームの2018年度公式戦出場停止を通告した。ただし、出場停止処分に対しては部の改善状況次第で、秋季リーグ戦前に、その解除を検討するというものだった。

 当時の4年生にとっては甲子園ボウルに出場して、日本一になる最後のチャンスを剥奪されるか、否かの瀬戸際である。

 当時、チームの主務をつとめていた平田は、そこから7月に最終決定がくだるまでの2カ月間に、後悔を残している。

「監督も辞任して、コーチ陣もほとんどが辞任して、自分たちも清掃活動をしたり、改善案を出して反省を示したつもりでした。内心どこかでこれだけ血を流したんだから大丈夫だろうと、きっと処分は解除されて秋のリーグ戦には出られるだろうと、そう思っていたんです」

 また、当時の4年生の中心メンバーは新監督が公募されるなか、OBが推薦してきたある人物と面談している。元京都大アメフト部監督で、甲子園ボウル6度優勝の名将・水野弥一である。

 あるOBがこのときのことを思い起こして、口惜しそうに言った。

「水野さんはやりたいと言ってくれていたんです。正直、水野さんが監督だったら、実績にしても人格にしても知れ渡った人ですから、関東学連も納得したのではないかと思うんです。そうすれば秋のリーグ戦にも出られた。ところが、学生たちは『また内田監督の時代に逆戻りしてしまうかもしれない』と年配の監督を敬遠したんです。ゴミ拾いをしたり、改善案とかをつくったりしていましたけど、まだやれることはあったんじゃないかと。甘かったんですよね」

【次ページ】 「救うべきだった」「顔も見たくない」

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