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日大アメフト部の真実、その光と影(前編)
あのタックルが生んだ断層と空中分解。 

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2019/12/28 19:00

日大アメフト部の真実、その光と影(前編)あのタックルが生んだ断層と空中分解。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

競技以外の面で大きな注目を受けた1年半。日大アメフト部に「在籍した」選手の思いは、千差万別だった。

石碑に刻まれたアメフト部の伝統。

 京王線・下高井戸駅から商店街を南へ下ると、住宅街のなかに日本大学の敷地が見えてくる。

 アメフト部のグラウンドは文理学部の向かい側、百周年記念館という建物の奥にある。

「関係者以外立入禁止(アメリカンフットボール部)」と書かれた重たい門扉をはいると、まず巨大な石碑が鎮座している。

 そこには、この部を17度も学生王座に導いた指導者、故・篠竹幹夫の詩が刻まれている。

 表題は「雄の時代」。

「風が吹いている 空は啼いている
 白い砂塵は舞い上り 舞い下りてくる
 光と砂塵の乱舞は果てなく続き
 やがて空のむこうに山が見えてくる
 幾重にも幾重にも 連なって迫りくる
 敵だ 私は風のなか 迫る敵を睨む
 空は鳴り雲は飛び 敵影は近づく
 築け 雄の時代 咆哮を挙げて戦え
 猛虎の如く 猛虎の如く」

 この詩を現代の学生はどう読むのだろうか。

 あるいは石碑の横を通り過ぎるだけなのだろうか。

 まだ鉄拳によって愛が伝えられ、受け止められていた時代、そんなころから積み上げてきた歴史と伝統がこの部にはある。

 照明が完備された人工芝グラウンドの奥には客席用のスタンドがあり、その上に日本一の回数を示した21枚のフラッグが掲げられている。

 他を圧する、この隔絶された空間で歳月とともに築かれ、堆積してきたもの。そこに変革を強いたのが、ひとつのタックルだった。

眉をひそめたOB、世の中との乖離。

 2018年5月6日、西の雄・関西学院大との名門同士の定期戦でのことだった。

 当時3年生だったディフェンスラインの宮川は、相手クォーターバックがボールを投げたあと、誰もがプレーを止めるなかでひとり何かに追い立てられるように突進して、背後からタックルした。被害者は腰が逆に折れるような格好で膝から崩れ落ちた。

  ハードなコンタクトスポーツにおいても、およそ目にすることのない光景だった。

 この衝撃的な映像が拡散されたこと、なぜこのタックルが起きたかを被害者側が調べていく中で、相手を潰さなければ試合に出さないと圧力をかけたとされる当時の監督・内田正人、担当コーチの井上奨に告訴状が出されたことで、事件となり、社会問題となっていった。

「悪質タックル」が部の代名詞となっていく。大学と体育会を取り巻く構造が世の中に明らかにされていく。

 その渦中で、OBたちは眉をひそめた。

 世の中とは別の視線がここにある。

「篠竹さんの時代はね、よく殴られましたよ。でも、ぼくら学生は、オヤジが何も言わなくたってオヤジの考えていることは理解していましたよ。今の学生は監督の真意を理解しきれていないんじゃないですか。内田さんだって、あんなことをやれとは言っていないと思います」

 これはあるOBの言葉である。

【次ページ】 篠竹の言葉はほぼ指示代名詞だった。

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