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石川遼は今が最高に「いい状態」。
日本初のPGA大会で見た明るい顔。
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph byKyodo News
posted2019/10/23 11:50
石川遼の状態は上向きで、表情も柔らかい。選手会長の重責を担いながらの復活には頭が下がる。
カムバックではなく、新しい挑戦。
そうやって生まれ変わった石川が、今、このZOZOチャンピオンシップの舞台に足を踏み入れている。「米ツアーにカムバックしたという感じですか? それとも、新たにトライするという感じですか?」と単刀直入に尋ねてみると、石川は迷うことなく、こう答えた。
「新しくトライするという感覚の方が強いです」
新生・石川の新たなる挑戦。当初は主催者推薦での出場となる予定だったが、賞金ランキングをアップさせ、「自分の実力で出場権を勝ち取れた」ことに裏打ちされた自信が彼の表情に漲っていた。
振り返れば、石川の米ツアー挑戦は、いろんなことがあったという意味では長かったのかもしれないが、あれよあれよという間に米国を去ったという意味では、あっという間だった感も強い。
米ツアーで下降していった成績。
初出場した2009年のノーザントラスト・オープンでは、会見場の壇上に座った途端、「ハロー・アメリカ」と元気良く英語で挨拶した姿が初々しかった。
2011年のブリヂストン招待では、米ツアー初優勝のチャンスを掴み、最終日を最終組で回った。しかし1番ティで落ち着いた様子でティオフを待っていたアダム・スコットの傍らで、ドライバーをぶんぶん振り回して素振りしていた石川の姿は、あまりにも対照的だった。緊張と興奮に押し潰されそうになりながら、それでも4位タイは大健闘だった。
2012年にはプエルトリコ・オープンでも優勝争いに絡む、2位になった。そしてメモリアル・トーナメントでは9位タイに食い込み、初優勝は時間の問題だと米メディアたちも期待していた。
だが米ツアーの正式メンバーになって以降は、むしろ成績が下降気味になっていた。その原因こそが、腰痛だった。
「2013年の始めから腰痛に悩まされた」
そして2017年8月、レギュラーシーズン最終戦のウインダム選手権が石川の米ツアーのラスト・トーナメントになった。あのときの石川の悲痛な面持ちが私の脳裏に焼き付き、長い間、離れなかった。