野球のぼせもんBACK NUMBER
耳を疑った武田翔太の中継ぎ起用。
工藤采配に選手への「愛」はあるか?
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byKyodo News
posted2019/09/25 20:00
波紋を呼んだ武田の登板があった21日は、レギュラーシーズンの本拠地最終戦。試合後、場内を一周する工藤監督の表情も冴えない。
プロ野球選手に次の保障などない。
近頃の世の中の流れとは逆行している考え方に映るだろう。「投手の投げ過ぎ」が社会問題化していると言ってもいい中で、このような昭和的発想は歓迎されない。
しかし、彼らが戦っているのはプロ野球だ。一般社会と同様の概念で戦って「勝てる」世界ではない。
もちろん無理が祟って潰れてしまえば、これほど不幸なことはない。武田の中継ぎ起用に関してはネットニュースのコメント欄には「来季を考えて登板させるべきではなかった」という主旨の書き込みをかなり目にする。
第三者的に見ればそうかもしれないが、プロ野球選手はどれだけの実績や成績を残していても「次」の保証などないことを、身をもって知っている。正直余裕なんてどこにもない。
また、1月の自主トレや2月の春季キャンプとしんどい毎日を送ってきたのは、すべて秋に勝って喜びを得るためだ。自分だけじゃなくて周りの人たちの思いも背負っている。それがプロ野球選手の生き方だ。
投げられる状態であれば、その中でベストを尽くそうとする。それがプロ野球選手だ。外野の我々が物申すのは自由だが、その考えを押し付けることは出来ないと思っている。
だから首脳陣もマウンドに送った。
先発や、起用しない選択肢はなかったのか。
しかし、ならばなぜ先発を託さなかったのか。
二保がダメというわけではない。先述したとおり、彼もまたベストを尽くした。ただ、結果がついてこなかったのだ。
それまでの戦況を顧みたときに、誰もが納得するのは武田の先発ではなかったか。短いイニングしか投げられないのであれば、もう故障が発覚していたのだから早めの降板でそこから二保につないでも良かったのだ。
そして一方で、武田を起用しないという選択肢も1つだったと思う。
投げられるという武田を送り出すのも考え方だが、それを制止するのも首脳陣の役目だ。肘の状態が芳しくないから先発を回避したのだ。武田の将来を見越して、投げさせないというのも立派な答えのはずだった。