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桃田賢斗「まわりに支えてもらって」
一度は薄れかけた力を強く感じて。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byGetty Images

posted2018/09/24 17:00

桃田賢斗「まわりに支えてもらって」一度は薄れかけた力を強く感じて。<Number Web> photograph by Getty Images

桃田賢斗がジャパンオープンの頂点に立った。東京五輪まで2年、彼には果たさなければならない目標があるのだ。

「まわりに支えられて、試合ができました」

 例えば北京、ロンドン五輪金メダリストの林丹(中国)との一戦。3年前の全英オープンでは一蹴された相手に、ドロップ、カット、そしてスマッシュで効果的に組み立て、21-8、21-10と圧勝した試合。

 強さをいかんなく発揮して優勝を決めたあと、桃田はこう喜びを表した。

「まわりに支えられて、試合ができました」

 その言葉は、高校を卒業して間もない頃の取材での言葉を思い起こさせた。

「心温かく迎えてくれて、応援してくれることがほんとうにありがたいことだと感じました。支えてくれる人たちに恩返しがしたいと思いました」

 当時桃田がいた富岡高校は、福島の原発事故により同県の猪苗代町へ避難していた。避難先で生活しながら仮校舎に通い、町の体育館で練習を続けた。

「このチームでやりたい」という思いが原動力だったが、猪苗代町で過ごす日々に実感したのは、応援してもらうことで得られる力だった。その力が、高校3年でのインターハイ優勝をもたらしたのだと桃田は言っていた。

帰国翌日、自主的に練習に参加。

 大会に出られなかった期間、桃田は会社勤務と練習を重ねながら、苦手としていたランニングやフィジカルトレーニングに取り組んできた。その成果は、腹筋を痛めても戦い抜くことができた世界選手権などに表れている。

 その間には、多くの人の応援や支えがあった。復帰してから、何度も周囲への感謝を口にしてきた。

 一度は薄れかけた、競技人生を支えてくれる力をあらためて思い出せたこと、高校時代より強く感じ取れたことも、現在の桃田の力になっている。

 日本バドミントン界の第一人者である自覚と責任感は、アジア大会から帰国した翌日、疲労がたまっているにもかかわらず所属先のNTT東日本の練習に参加し、他の選手の練習相手を果たしたというエピソードにもうかがえる。

【次ページ】 ジュニア選手に見て欲しいところ。

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