スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
日大アメフト部で優しさは罪なのか。
「潰せ」と「こいつ」と「坊主頭」。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byKyodo News
posted2018/05/23 11:20
1人の選手人生が終わり、アメフトという競技のイメージも地に落ちた。この事態を避ける方法はなかったのか。
フェアプレーの根本には愛情がある。
試合における闘争と、倫理、愛情は並存できる。
かつてラグビー日本代表、早稲田大学で監督を務めた大西鐡之祐氏は、名著『闘争の倫理』の中で、フェアプレーが生まれる根源を次のように説明している。
「あるプレイ中に何らかの問題が起こるわけですね。そのときそれに見合う行動は、1つは良い行動であり、1つは悪い行動だと思うのですよ。(中略)そういうときに、そういう悪い行動をしたら勝てるかもしれないという判断と、いや、そんなことまでして勝つ必要はない、という自分の正しい判断と、それがここで葛藤する。
そしてそのときにフェアの方の行動が、アンフェアの方の行動に打ち克って行われた場合に、その行動がフェアであると、こう言われるわけです。だから、そのときに愛情が湧くということは、その選択の根本的なものは愛情だということではないでしょうか。(中略)従ってフェアプレイの根本には愛情がある、ということになりますね」
会見で宮川選手は「自分の意志に反することはするべきではない」とはっきり言った。
太平洋戦争を戦い、スポーツにおける倫理の重要性を説いた大西氏の境地に、彼は不幸な形で到達してしまった。
彼のプレーは、罪に値する。
しかし、優しさは罪ではない。
彼の持つ個性であり、日大の指導陣がそれを否定したことが、問題の根源にあった気がしてならない。