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ショートトラック“黄金の右足”が。
坂爪亮介、平昌ラストレース後の涙。 

text by

矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byRyosuke Menju/JMPA

posted2018/03/05 11:00

ショートトラック“黄金の右足”が。坂爪亮介、平昌ラストレース後の涙。<Number Web> photograph by Ryosuke Menju/JMPA

転倒シーンが続出するショートトラックという競技。偶発的な要素があるとはいえ、坂爪の挑戦は意義深い。

韓国に移住して培った「右足の技術」。

 リレーでは不本意な「7位」だった坂爪だが、個人種目では「1000m5位」「500m8位」と気を吐いた。'14年ソチ五輪での1000m22位、1500m24位から大幅なジャンプアップであり、ショートトラックの日本男子が個人2種目で入賞するのは初めてという殊勲の成績だった。

 そこには、ソチ五輪で不完全燃焼に終わった悔しさをバネに、'16年5月からショートトラック王国である韓国に移住して培った「右足の技術」があった。

 ソチ五輪前の坂爪は伸び盛りの勢いそのまま、'13年9月上旬の全日本距離別選手権で6レース中4レースに優勝し、エースとしての実力を見せつけていた。ところが、9月末に上海で行われたW杯初戦で転倒して、右の脛骨と腓骨が折れる重傷。プレート2本を入れる手術を行ない、12月の最終選考会に出場し、どうにかソチ五輪切符を手に入れた。

 しかし、本番では1000m22位、1500m24位。リレーは日本男子に出場権がなかった。

 ソチ五輪後、一時は現役から退くことも考えたというが、万全の状態で勝負を挑みたいという思いが膨らんだ。平昌五輪を目指すからにはメダル獲得を狙おうと一念発起したのは'16年5月。韓国・城南(ソンナム)に移り住み、元韓国代表コーチのチョン・ジェモク氏に師事するようになった。韓国ではそれこそショートトラックだけという毎日を過ごした。

右を軽減するために、左も磨いた。

 全コーチには右足の使い方を徹底的に仕込まれた。コーナーで外側になる方の足。この足の使い方で爆発的なダッシュ力が生まれる。

 1年半あまりの間、特訓を重ねた坂爪は“黄金の右足”を手に入れた。だが、反動もあった。「どうしても右足の比重が高くなってしまう」ということで、右膝痛に悩まされるようになった。平昌五輪前は右足への負担を軽減するべく、左足の技術を磨くことに精力を傾けた。

 こうして迎えた平昌五輪。全コーチから授かった、試合前の“必勝ルーティン”で身体を温め、集中力を高め、レースを迎えた。そして、ソチ五輪の成績を大きく超える結果を手にした。

「個人戦もリレーもメダルを目指して取り組んできて、個人戦では自分の持てるパフォーマンスを出せました」

【次ページ】 「氷を押し返すパワーがないと」

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