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岡野より俊足、自己管理、強運。
平川忠亮は浦和で生き残り続ける。
posted2018/02/11 09:00
text by
佐藤亮太Ryota Sato
photograph by
Getty Images
「すごいよね、レジェンドだよね」
柏木陽介が白い歯を見せた。
沖縄県島尻郡八重瀬町で行われている浦和レッズの2次合宿、曇り空となった日曜日のこと。サインをせがむ子供の歓声にかき消されそうになりながらも、新キャプテンはこう続ける。
「いろんなことを発信するタイプじゃないけど、すべてを把握して、周りを見守っている。プレーも衰えるどころか安定している。たまに出る試合でも結果を出す。本当にすごいな」
浦和ひと筋。プロ17年目の平川忠亮を語る柏木の目は優しかった。
リーグ、カップ、天皇杯、そしてACL。すべてのタイトルの瞬間に立ち会った平川は、2000年代から2010年代の浦和レッズの歴史そのものだ。
平川が筑波大から加入した2002年。クラブがハンス・オフト監督にチーム再建を託すと、平川は育成力に長けた名伯楽の目に留まった。その年に新加入した10選手のうち、合宿参加を許されたのは平川と坪井慶介(現・山口)だけだった。
オフト監督から利き足の右だけでなく左足を磨くよう厳命されると、必死に習得。左右両サイドでプレーできる貴重なアタッカーとして、オフト以降もギド・ブッフバルト、ホルガー・オジェック、ゲルト・エンゲルス、フォルカー・フィンケ、ミハイロ・ペトロヴィッチら歴代監督に重用された。
同期・堀之内聖が認める「サッカーIQの高さ」。
平川の同期であり、現在は強化部スタッフとなった堀之内聖は、平川がプロ17年目となった今も浦和でプレーしている理由をこう表現する。
「抜群にサッカーIQの高さがあるんです」
堀之内の言葉には、現実の裏づけがある。
“ミシャ”ことミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任1年目だった2012年、鹿児島での2次合宿は戦術練習に費やされていた。
頭と体をフル回転させるスタイルに選手は四苦八苦し、監督の怒声が鳴りやまなかった。しかしその合宿3日目だったろうか、ミニゲームで右サイドに入った平川はすでにミシャ流の動き方をマスターしていた。いち早く新監督の意図を理解していたのだ。