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カズに憧れたヤンチャ小僧の28年間。
平本一樹、引退後は町田で次の夢へ。 

text by

海江田哲朗

海江田哲朗Tetsuro Kaieda

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photograph byGetty Images

posted2018/02/01 08:00

カズに憧れたヤンチャ小僧の28年間。平本一樹、引退後は町田で次の夢へ。<Number Web> photograph by Getty Images

2005年元日、天皇杯決勝でヴェルディを栄冠に導いた平本。黎明期のJリーガーのようなたたずまいを感じさせた選手だ。

「縦にいけなくなったら引退しよう、ところが……」

 '07年に横浜FC、'12年にFC町田ゼルビア、'13年にヴァンフォーレ甲府と3回の期限付き移籍を経験した。いずれも本人が望んだものではなく、主に監督との折り合いがつかず、出ざるを得ない状況になった。

 選手晩年は股関節の痛み、グロインペインに苦しんだ。現役最後のシーズンは1試合もピッチに立っていない。

「ドリブルで縦にいけなくなったら引退しようと決めていたんです。ところが、いくつになっても縦にいけるし、若いヤツをちぎれる。グロインを患い、単年契約なのにクラブの配慮により手術を受けさせていただいたのは感謝しています。痛みが消え、さあこれからだと勝手に思っていました」

契約満了の会談は10分ほどの短い時間で終わった。

 11月30日、チームの活動最終日、平本は契約満了を告げられる。

 竹本一彦ゼネラルマネージャー、山本佳津強化部長との話し合いの場で、セカンドキャリアの提案はなかった。つまり、お払い箱だ。

 今後のために外の世界を経験したほうがいいという親心か。そんな話は一切なく、会談は10分ほどの短い時間で終わった。長年、骨身を削ってきた平本のために、身体を張ろうとする人間はクラブの上層部には誰ひとりとしていなかった。

 ある種の人々が共有したがる「クラブ」に、平本は乗っかろうとしないと見なされたのだろう。たしかに孤狼の類いは扱いやすくはない。減点方式で見れば、すぐに持ち点がすっからかんになる。

 サッカークラブは、さまざまな仕事によって成り立つ総合サービス業だ。そこで、東京Vは育成年代から膨大な時間をかけ、どこにも使い道のないひとりをつくった。価値がゼロの人間を育てた側の責任は宙に漂い、取り沙汰されない。この事実を周囲はどう見るだろうか。

 平本は引退を決め、同時に28年間紡いできた東京Vとの物語も幕を下ろした。

【次ページ】 町田で職を得て、ワードやエクセルを一から勉強中。

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