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石川遼と松山英樹。それでも2人が
終生のライバルである理由。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTakuya Sugiyama
posted2018/01/20 08:00
アメリカツアーでの苦戦を受け入れて、次のステップに進もうとする石川。吹っ切れた表情に見えた。
松山の言葉は石川とあまりにも対照的だった。
それを聞きながら、私はある人物を思い浮かべていた。松山英樹だった。
じつはその数日前、やはり対談形式の取材で松山にインタビューをしたのだが、その時、彼が語った言葉や様子があまりにも石川と対照的だったからだ。
例えば、松山は2017年の全米プロゴルフ選手権最終日、ホールアウト後の涙について、こう語っていた。
「最終日の10番までトップで、11番のティーショットを完璧に打てて、そこでなんて事のないセカンドショットをイージーミスしてしまった。ウェッジで打って、あのミスをしたというのが自分の中で許せなかった」
日本人が最もメジャー制覇に近づいたあの日、周囲にはそれを称える空気も存在していたはずだが、そういう周囲の雰囲気を、松山は自分とは完全に切り離していた。
それどころか、「メジャーに勝って欲しい」という観る側の勝手な願望に対しても、一定の距離を保っていた。
「あまり目標とか、そういうこと考えないんですが、周りが言うから『メジャーに勝つ』ということで……。でも、本当はそこじゃなくて、どの試合でも上位で戦える選手になっていたいな、と」
何かにつけて自ら「遼は……」「英樹は……」。
周囲の視線や願いを、そのままエネルギーとする石川に対し、松山はそういうものから隔絶された自分の内にある世界で戦っているようだった。アメリカPGAツアー、ゴルフ界のトップレベルという同じ舞台に立ちながら、原動力とするものがまるで違っていて、正反対と言ってもいいほどなのだ。
そして、さらに興味深かったのが、そんな対照的な2人が、常に心のどこかでお互いを意識しているように見えたことだ。
最初は周りが、同い年のライバルだ、と煽るからではないかと思ったが、たとえ誰かに質問されなくても、何かにつけて自ら「遼は……」、「英樹は……」と口にすることが何度かあった。
だから、これはあくまで想像なのだが、2人にとってお互いは自分の現在地や、自分が持っているもの、欠けているもの、そういうものを映し出す鏡のような存在なのではないだろうか、と勝手に思った。