ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER
村田諒太がついに、ついに世界王者。
次は「僕より強いチャンピオン」と。
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byHiroaki Yamaguchi
posted2017/10/23 11:50
試合後の饒舌さも、村田諒太の魅力の1つ。電通、フジテレビへの言及も会場を沸かせていた。
「もらわない」という自信が可能にした組み立て。
「もらわない」という自信が、第1戦には出なかった左のボディブローにつながった。
エンダムが対策を講じた右をそう簡単に決めることはできなかったため、この左ボディは有効だった。右をエンダムのガードの上から打ち込み、すかさず左をボディに突き刺す。エンダムは3回に入ると早くも左のガードがズルズルと下がってしまった。
こうして顔面への右も当たるようになると、完全に村田のペースだ。
「3、4回にゼーゼー言っていた。このままいけばあきらめるかもしれないと思った、ジャブで嫌な顔をしてたし、このままチャージしたらいけるかもしれない」
ジャブの精度が上がり、6回には右ストレートでチャンピオンのヒザを折る。エンダムはこれまでの試合で何度ダウンしても起き上がり、KO負けが一度もない選手だが、7回が終わったインターバルで棄権を申し出た。
「エンダムはジャブをもらうような選手じゃない。これ以上の続行は危険だと判断した」。試合後、エンダム陣営のコメントである。
エンダムは9月のキャンプ前に左足首を痛め、キャンプインしてからは高熱に見舞われた。さらにはキャンプ地のマイアミではハリケーンに見舞われ、ジムが使えない期間もあったという。「キャンセルも考えた」とは本人の弁だ。
帝拳ジムの本田明彦会長によれば、マネジャーとの関係もギクシャクしており、試合延期や、来日を危ぶむ噂さえ流れていたという。心技体を整えることができなかったエンダムに、村田を返り討ちにする力はなかったのだ。
「泣いてなんかいません」
エンダムが棄権した直後、村田の目から思わず涙がこぼれた。「泣いてなんかいません」。勝利者インタビューで村田はおどけたが、2013年8月のプロデビュー以降、五輪金メダリストはプレッシャーや葛藤と戦い続けてきた。
村田は2012年のロンドン五輪で、ボクシング競技としては1964年東京大会の桜井孝雄氏以来となる金メダルを獲得。当初は「プロには転向しない」と発言していたこともあり、プロ入りにあたってはひと悶着あった。