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日本バドミントン強化の立役者。
朴柱奉コーチ「東京でも金メダル」

posted2017/06/19 08:00

 
日本バドミントン強化の立役者。朴柱奉コーチ「東京でも金メダル」<Number Web> photograph by Tadashi Shirasawa

日本に渡ってから数多くの選手の才能を開花させてきた朴コーチ。東京五輪の舞台でも、その力は必要だ。

text by

矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

PROFILE

photograph by

Tadashi Shirasawa

リオ五輪で日本バドミントン界に初の
金メダルをもたらした朴柱奉ヘッドコーチ。
世界の強豪へと導いた熱血指揮官が、
あらたな目標に向け、その思いを熱く語った。
Number923号(3月16日発売)掲載の記事を全文転載します。

 ここ10年で大きく飛躍した競技の筆頭格と言える。'20年東京五輪に向け、まっしぐらに突き進んでいる日本バドミントン勢。戦う軍団たるメンタルをつくり上げ、研鑽をうながし、リオデジャネイロ五輪ではタカマツこと高橋礼華&松友美佐紀のペアを、とうとう頂点に押し上げた。

 その立役者こそ、52歳の韓国人指導者、朴柱奉(パク・ジュボン)ヘッドコーチである。

 '04年11月の来日から12年余り。日本の強化に心血を注ぎ、右肩上がりの軌跡を残してきた名伯楽は、情熱たっぷりの日本語でインタビューに応じてくれた。

 生まれは韓国・全州。

「ビビンバ発祥の地。食事が一番おいしい町です」

 若かりし頃から頭角を現し、韓国ではシングルス、ダブルスとも無敵だった。バドミントンが初めて正式競技となった'92年バルセロナ五輪の男子ダブルスで金メダルを獲得し一度は現役を退いたが、'96年アトランタ五輪で混合ダブルスが正式種目に加わり現役復帰。31歳で迎えた2度目の五輪では、銀メダルを獲得した。

 その後は韓国体育大学の助教として採用されるとともに、韓国協会から代表チームのコーチ就任を要請された。しかし、朴自身は、これを時期尚早と感じた。

「もっと指導者としての勉強をしたい」との思いで、英国へ行くことを決意。英国ナショナルチームのコーチを務めた後はマレーシア協会と契約し、現地で暮らした。

現役時代から馴染みのあった日本の“弱体化”に直面。

 日本からオファーを引き受けたのは'04年アテネ五輪から3カ月後の同年11月だ。

「世界のトップシーンから遠ざかっていたために、感覚がにぶったと感じていました」

 そんなときに受けた日本代表ヘッドコーチ就任の要請。世界の舞台へ戻れるという期待、自分の力で日本をレベルアップさせられるという自信、そして、韓国との距離的な近さにも魅力を感じた。

 選手時代から大会などで通算30回以上日本を訪れており、馴染みもあった。さまざまな条件とタイミングが合致したことで、腹は決まった。

 ところが、いざ日本に来てみると、想像していた以上の“弱体化”に直面した。

【次ページ】 コーチ就任ですぐ気づいた、勝敗へのこだわりの薄さ。

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