藤田俊哉の日欧蹴球比較論BACK NUMBER
欧州で指導中、藤田俊哉が観たCL。
「グリエスマンは日本人のお手本」
text by
藤田俊哉Toshiya Fujita
photograph byToshiya Fujita
posted2017/05/03 11:00
CLの会場にも精力的に足を運ぶ藤田氏。CLに日本人選手が出場する、という事実だけでも日本サッカーの成長を実感している。
UEFAカップ予選でもクラブ側の厚遇ぶりに驚いた。
理由としてはCLの試合の多くがミッドウィークでの開催なので、所属しているVVVフェンロのクラブスケジュールとの調整が難しいことがある。だが、それよりも難しいのが、チケット入手である。チケット自体を手に入れるのが本当に困難で、苦労しているのだ。そのぐらいCLはヨーロッパにおいても、人々が憧れる存在であり、その舞台は特別なものとなっている。
私も現役時代にFCユトレヒトでEL(現ヨーロッパリーグ、当時はUEFAカップ)の予選に出場したが、それですらクラブはビッグイベントとして盛り上がっていた。
アウェー戦のスロバキアと、フランスのオセールに向かう移動手段にはチャーター機を用意。クラブ関係者、家族、マスコミ関係者、サポーターも乗せて現地に向かった。飛行機に乗り込む手前までチームバスで行けてしまったり、機内のシートにはFCユトレヒトのロゴマークが用意されたりしていて驚いたものだ。
ジブリル・シセを3人がかりで止めに行ったのに……。
その試合での対戦相手、AJオセールにはジブリル・シセ(元フランス代表)がいた。彼とのマッチアップからは、それまでのサッカー人生では感じたことのない、桁違いのスケールを感じ、驚かされた。
その場面とは、オセールにカウンター攻撃を食らったユトレヒトが、トップスピードのドリブルで攻め込んできたシセを体を張って止めようと、僕を含めた3選手で対応したシーンだ。彼の凄まじい速さと力強さを、だれ1人として食い止めることができず、彼に独走を許したのである。3人ともがファウルで止めることすらできず、彼に置き去りにされた状況に呆然としてしまった。
こんな経験をしたのは初めてだったのでショックを受けたことを強烈に覚えている。
彼のスピード、パワーは当時のヨーロッパのなかでも最高クラスにあったといえる。その後に彼はリバプールなどに移籍をし、フランス代表でも活躍した。