フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
平昌五輪会場で『君が代』を流した17歳。
新四大陸女王・三原舞依、強さの秘密。
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byAsami Enomoto
posted2017/02/22 11:35
国際大会において総合で200点超えを果たした選手は、安藤美姫、浅田真央、宮原知子に次ぐ4人目という快挙だった。
日本でのシビアな育成環境が、逆に三原を強くした。
その強さの秘訣のひとつは、トレーニング環境にもある、と中野コーチは語る。
「うちは練習時間があまり長くない。(生徒が)たくさんいますので、音楽合わせは失敗したら、そこで止めて次の子になります。(自分の曲を最後まで)かけたかったら全部跳ぶしかない。シングルジャンプの時からそう育ててきた。普段から失敗が少ない子は、本番でも失敗が少ないですね」
自分の曲かけのチャンスは1日1度。時間の長い日でも、2度がせいぜいだという。
アメリカやカナダなどでは、トップ選手たちはリンクを数人の貸し切り状態でトレーニングをし、思う存分曲かけのランスルーを行える環境にいる。だがそういった恵まれた環境ではなかったことが、逆に三原の集中力を養い、本番に強くしたに違いない。
1万人に1人という難病を乗り越えて……。
三原は2015年12月、バルセロナでジュニアGPファイナルに出場した後、体の不調をうったえた。
日本スケート連盟の医師に勧められて精密検査を受けると、若年性の特発性関節炎と診断された。1万人に1人の難病だという。
今から1年前の三原は、滑ることはおろか、立つことすらできなかったのだという。
「復帰できたのは、周りにいる人たちが支えてくれたため。私1人ではここまで来られなかったので、感謝の気持ちを忘れずに滑りたい」と語った三原。
再び氷の上に戻ってくることができた三原は、以前よりも滑ることのできる喜びを強く感じているという。
「今シーズン、スケートが楽しいという気持ちを表現しようという気持ちになれた。それが一番良かったと思います」