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陸上トップ選手から7人制ラグビーへ。
“ママさん選手”寺田明日香が代表に! 

text by

及川彩子

及川彩子Ayako Oikawa

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photograph byShizuka Minami

posted2017/01/19 08:00

陸上トップ選手から7人制ラグビーへ。“ママさん選手”寺田明日香が代表に!<Number Web> photograph by Shizuka Minami

東京フェニックスというクラブチームに所属する寺田。サクラセブンズの起爆剤になれるか?

将来を嘱望されたハードラーだった寺田。

 陸上ファンの中には、寺田の名前を記憶している人もいるかもしれない。

 100mハードルの選手で、北海道の恵庭北高校時代にはインターハイ3連覇、2008年には18歳にして日本選手権で優勝したほか、2009年には日本記録に0秒05まで迫る13秒05のジュニア日本記録を更新し、19歳でベルリン世界選手権に出場、日本選手権では同種目で3連覇を果たすなど、将来を嘱望されていた選手だった。

 寺田の走りで最も印象に残っているのは2010年のアジア大会。

「キャリアで一番、絶好調だった」と寺田が話すように、メダルはもちろん金メダルを狙える状況だった。

 股下が長く、日本人離れした体つきでこれまでの女子選手にはみられない類まれな才能が感じられた。

 しかし金メダルの期待がかかった決勝ではハードルに足をぶつけて5位。涙を浮かべながら、打ちひしがれた姿で報道陣の前に姿を現したのを今でも鮮明に記憶している。

金メダルを逃してスランプに。そして現役引退。

「陸上人生で最大に凹みました」と話すように、その後、寺田は不調に陥った。

 怪我や摂食障害など心身ともに追い込まれ、2013年に進退をかけて臨んだ日本選手権で結果を残せず、引退を決意。静かにトラックを去った。

 結婚、出産を経てラグビーを始めたのは、日本代表でリオ五輪に出場した友人の桑井亜乃に誘われたのがきっかけだった。

「最初は『絶対にやりたくない』って泣いたんですけど、亜乃や周囲の皆の後押しもあって、『自分にもできるかな』と思うようになったんです」(寺田)

【次ページ】 東京五輪まで……覚悟の4年間。

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