錦織圭、頂への挑戦BACK NUMBER
初めて聞いた錦織圭の「申し訳ない」。
自国開催で棄権、という決断の裏側。
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byHiromasa Mano
posted2016/10/07 17:00
出場予定だったマスターズ上海大会を棄権することが決まった錦織。一度、本拠地のフロリダで戻って治療に専念し、次戦はスイス・インドアの予定。
「圭君の良いところがいっぱい出てたじゃない」
確かに複数の受賞者を出した国は、日本の他にアメリカ(4人)、イギリス(4人)、オーストラリア(2人)、スペイン(2人)しかない。テニス大国ばかりである。
実際のところ、どんな賞であれその名誉の大きさや意味はわかったようでわからないものである。ただ、私たちは錦織を通して盛田さんの志や功績の一端を身近に感じることができる。また、錦織という成功例がなければ、盛田さんのその後も変わらない尽力がこの賞の選考委員の耳に届くことはなかっただろう。
グランドスラムなどでお会いした折に、たとえば錦織が負けたあとで「今日は残念でしたね」と声をかけると、だいたいは「いいの、いいの。圭君の良いところがいっぱい出てたじゃない」というような言葉が返ってくる。おっとりとした独特の口調を文字では表しにくいのだが、そう言われると、負けたことなんてどうでもいいような気になってくるから不思議である。
時には「僕はね、試合は見てなかったんだ。今はこっちが大事だから。圭君はあんな立派になったんだから、もう見なくてもいいんだよ」などとおっしゃる。
「こっち」というのは錦織の後輩ジュニアたち。
センターコートの招待席に座れるのに、炎天下でキャップを被って立ち見しながら、まだ名もないジュニア選手を応援する姿には最初驚かされたものだ。
16歳にして「一生の恩人」という発言をしていた錦織。
錦織が16歳で全仏オープン・ジュニアのダブルスを制したときに、盛田さんのことを「一生、足を向けて寝られない人」と言っていたのをよく覚えている。
3年ほどアメリカで暮らす少年がそんな古風な表現をしたことも印象的だったが、16歳にしてそれほどの恩人がいる人生の濃密さに感慨を覚えた。
プロになってもそういう恩人がいつも柔らかな目で、ほどよい距離から見守ってきてくれたことは、錦織には経済的支援に勝るとも劣らない、うれしいサポートだったに違いない。