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熊本入りした植田直通の涙と行動力。
小笠原「何でもする」に背中を押され。
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph byKashima Antlers
posted2016/04/26 11:20
リオ五輪代表でも不動のセンターバック。その真っ直ぐな性格と強靭な肉体は熊本で培ったものだ。
「戦士の顔」を崩さない植田が、カメラの前で泣いた。
熊本地震発生から2日後、ピッチ上では鋭い眼光で相手FWを威嚇し「戦士の顔」を崩さない植田が、テレビカメラの前で泣いていた。湘南ベルマーレ戦で3-0の完封勝利に貢献し、試合後のヒーローインタビューで「熊本出身の植田選手にとって、今日は特別な想いでのプレーだったと思います。胸の内を聞かせてください」と問われたときだった。右手で目頭を押さえ、約30秒の沈黙の後、「僕には、それ(サッカーで勇気づけること)しかないんで。頑張ります」とだけ声を振り絞り、カメラの前を去った。
高校時代の話をするときには、無意識に熊本訛りが出る男だ。苦しむ故郷のために、サッカー以外の面でも「何かをしたい」と思っていたのは間違いない。プロサッカー選手となった植田は、「何もできなかった」高校時代とは違い、すぐに行動に移した。
湘南戦の翌日、午前練習後にクラブの強化部に「熊本に行きたい」と直訴し、安全第一を条件に許可をもらった。オフだった翌日を含めて、1泊2日の強行日程だった。
植田の気持ちを汲み取った小笠原、選手会長の西大伍、若手の久保田和音、鈴木優磨、垣田裕暉も同行した。熊本空港は閉鎖されていたため、成田空港から福岡空港へ飛び、福岡空港からはレンタカー3台に飲料水など支援物資を詰め込んで、陸路で熊本入り。母校の大津高に隣接する大津中など、避難所を回って物資を渡した。
植田「今の世界が当たり前じゃない」
熊本から鹿島に戻った植田は、被災地を直接見て感じたことを、こう語っている。
「今の世界が当たり前じゃないっていうのは、すごく感じました。今こうやって鹿島のチームメイトたちと試合をやって、練習をやれているのが、当たり前じゃないというのもすごく感じたので、今できることを精一杯やっていくことを強く思いました。
まだ僕が行ったときは、地震発生からあまり時間が経っていなくて、被災地も慌しい状況の中で、避難所で寝る人もいれば、車で寝ている人もたくさんいて、収拾がついていない状況でした。物資が回ってないところもあって。今は物資も届き始めている状況ですけど、それを配る人がいないというか、ボランティアの人たちの人数も足りていないという話も聞きました。そういうところは僕にも何かできることがないかと思って、少しでも協力できるように、これからもやっていきたいと思います。
地元の熊本で被災している人がたくさんいて、テレビを観る状況ではないかもしれないけど、僕たち鹿島の結果というのはいつか届くと思っています。その結果を知って、“熊本出身の植田”が少しでも頑張っているということを伝えられればいいなと、僕自身思っているので、これからもしっかりと勝ちを積み上げて、良い結果を報告していきたいです」