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バンディエラの引き際はいつも困難?
トッティが“ローマ王”から追放。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAFLO
posted2016/03/10 10:30
招集外となり、スタンドからパレルモ戦を観戦したトッティ。こんな風に視線を集めるのが彼の望みであるはずがない。
「思うようにすればいい。ただし、優遇はしない」
だが、その後もアイドルとしてローマという温床で年を重ね続けたトッティに対し、スパレッティは極寒の地を経験した。ゼニトでロシアリーグを2度制するなどタイトル獲得の熾烈な経験を積んで、永遠の都へ帰ってきたのだ。
古巣ローマのトリゴリア練習場に再び戻ったスパレッティは、就任早々「私が指導するのはチームであって、トッティ個人ではない」と立場を明確にし、今年6月で契約が切れるベテラン主将に告げた直言も明らかにした。
「トッティには伝えてある。『(現マンチェスターU監督アシスタント)ギグスのようになりたいなら、そうすればいい。(現ユベントス副会長)ネドベドのキャリアを辿りたければ、そうしろ。もちろん君があくまで現役を続けたいというのなら、それはそれで構わない。ただし、絶対に優遇はしない』とね」
マルディーニも、デルピエロも最後はもめた。
“バンディエラ”の引き際は難しい。
クラブにとってその存在が重くなればなるほど、引退間際の言動が小さくない波紋を呼ぶ。
ミラン一筋に25年間を捧げた伝説のDFマルディーニは、'09年に引退した。サンシーロでの最終試合を終えたマルディーニは、万雷の拍手に包まれてグラウンドを一周した。
しかし、最も熱狂的なミラニスタたちが集うはずの南側ゴール裏席に差しかかったとき、彼を中傷するブーイングが降り注いだ。ウルトラスに代表される暴力的サポーター組織の存在意義を否定する、マルディーニのかつての発言に対する報復だった。最後の晴れ舞台を台無しにされたマルディーニの悔恨は今も消えない。
'12年6月、名門ユベントスの主将だったFWデルピエロが、19年間袖を通してきたビアンコネロ(白黒)のユニフォームを脱いだ。
'06年のカルチョ・スキャンダルから6年を経てスクデットを奪回、デルピエロは有終の美を飾ったように思える。しかし、クラブの経営陣が主将を見る目は、前年の2月から凍ったように冷ややかだった。
当時、クラブとの長引く契約延長交渉に痺れを切らしたデルピエロが「白紙契約でもいいからチームへ残りたい」とビデオメッセージを公開。本来当事者同士に限られるはずの交渉事で、世論を味方につけようとしたデルピエロのやり方がアンドレア・アニェッリ会長の逆鱗に触れた。同会長は直後の株主総会で主将への嫌味を述べ、両者の確執は決定的となった。
デルピエロはその後、オーストラリアやインドで現役を続けたが、ユーベでの引退試合が行なわれなかったのはもちろん、話題にさえのぼらなかった。
鉄人サネッティ(現インテル副会長)のように、現役引退後に即フロント入りし、経営幹部としてのキャリアを着実に積むことができるバンディエラの例はそう多くないのだ。