プロレスのじかんBACK NUMBER
プロレス話が嫌いなプロレスラーの話。
長州力は、いつか“消える”──。
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph byEssei Hara
posted2016/01/16 11:00
1982年10月22日に行われた長州力vs.藤波辰爾戦。後に伝説となったノーコンテストの一戦は、「無効試合がぴったりの始まりかたでした」(原悦生)。
“アポ無し挑戦状持参・大仁田厚”状態の筆者。
とあるテレビ番組の収録で、「長州さんが友人達と飲んでる画を撮りたい」とディレクターからリクエストをされたことがあったそうだ。
その際、マネージャーが「友人役として“山本”さんでも呼びますか?」と長州に振ったところ、「山本? ああ、アイツはダメダメ! 革ジャンとか着てくるだろ? アイツは品がないからテレビに出しちゃダメ」と一刀両断したという。この話を聞いたときは、べつにこっちだって出たくもないけど、けど……と、なぜか強烈な寂しさに襲われたものだ。
しかし、事実こんなことは、あった。
2009年10月、東京ドームホテルで『長州力レスラー35周年パーティー』が行なわれることになり、当然ボクも出席をする予定だった。当日、そろそろ向かおうと事務所でスーツ姿に着替えようと思ったら、スラックスを用意するのを忘れてしまったことに気づいた。パーティーが始まる時刻までそんなに時間もない。あいにくその日は革ジャンに短パンという格好だったから、これではとてもじゃないがパーティーに出席することはできないだろう……と。しかし、当日キャンセルなどと失礼なこともできないので、とりあえずこんな格好だけれども、受付にご祝儀袋だけは置いて帰ろう。そう思い立ち、ホテルへと向かった。
受付近くには新日本プロレスの選手たちがズラッと勢揃いして出席者たちを出迎えていた。そこに現われた、あきらかに様子のおかしなボクの姿を確認したホテルマン。
「なんのご用でしょうか? 案内状はお持ちですか?」
なかなかのプレッシャーで呼び止めてきたから、とっさに声を張りあげた。
「い、いや、違うんです! こ、これ(ご祝儀)を渡しに来ただけなんです!」
そう叫んだボクの姿が、自分でも「これ、アポなしで挑戦状持って乗り込む大仁田厚じゃん……」と思ったから、長州の言う通り、下品なのだと思う。
天龍の話題から、自らの引退についての話に。
「正直言って俺も新しい靴(リングシューズ)を作ろうか、もうこのままでいいか、考えるときがあるんですよ」
2015年9月の取材で、同年11月に現役引退を控えた天龍源一郎の話題になると、長州はポツリとそう言った。いつの日からそうなったか定かではないが、すでにプロレスの話もボクはOKになっていた。
「最後に両国(国技館)でやるなんて、源ちゃんはなんてしぶとい。俺なんかは最後は後楽園かどっかでさ、“ラストマッチ”とかそんな言葉も使わずにやる。まあ、俺の引退興行に名目を付けるとしたら『消える』とか」