ひとりFBI ~Football Bureau of Investigation~BACK NUMBER
日本が呼べる限界は「過去の名将」!?
代表監督をJの実績で選ぶという話。
posted2015/02/19 10:50
text by
北條聡Satoshi Hojo
photograph by
AFLO
やっぱ「同胞」でしょ!?
いまだに、このジンクスが生きている。ワールドカップの優勝監督だ。事実、昨年のブラジル大会を制したドイツの指揮官ヨアヒム・レーブも生粋のドイツ人だった。蛇足ながら、準優勝のアルゼンチンも、3位のオランダも、4位のブラジルも、指揮官は同胞だ。代表では外国人監督の登用が認められているが、実に80年を越える大会史の中で外国人の優勝監督は一人もいない。
だから外国人監督はアカン、そろそろ日本人監督でよくね?
いや、そういう具合に話をもっていきたいわけじゃない。優先すべきは、やっぱ「国籍より手腕」でしょう、どう考えても。
そろそろ日本人で――という主張は、「その手の人材がいるじゃん」という信憑が先にあって初めて筋の通る話のような気がする。そして、まだまだ外国人で――という主張にも全く同じことが言えるわけで。日本人か、外国人か――という問いの立て方から離れ(ま、誰もそんな問いを立てちゃいないでしょうが)別のアングルから日本代表に必要な「辣腕」を考えてみた方がよろしいんじゃないかと。
「世界レベルの実績」は本当に必須要件か?
例えば、こんな問いである。
欧州リーグの実績か、ワールドカップの経歴か?
過去2回の監督人事における要件は「トップレベルにおける実績」だった。具体的には欧州の主要リーグ、もしくはワールドカップ本大会での実績である。この2つに最も高い優先順位が置かれていた。これらの条件に従って招聘したのがイタリア人のアルベルト・ザッケローニであり、メキシコ人のハビエル・アギーレだった。結果は? 前者は「集大成」のブラジル大会でグループステージ敗退の憂き目に遭い、後者は「8強止まり」に終わったアジアカップの後に退任している。
果たして「世界レベルの実績」は必須の要件なのか?