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冬季五輪招致から突然オスロが撤退。
理由は財政負担と、冬季競技への愛!?
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJMPA
posted2014/10/26 10:40
ソチ五輪では開催費用が過去最高の5兆円にのぼったと言われている。冬季競技のスタジアムなどがあるという意味でも、オスロは最適だったのだが……。
問題点は、支持率の低さと政府の無支援。
その中で、オスロの数少ない問題点とされたのが支持率と政府による支援だった。
そして最終的に、その問題が断念の理由となった。政府が開催への財政保証をしないと決定し、世論調査でも50%以上が反対であったのだ。支持率が伸びなかった理由の中には、4年に一度の大会より、毎年開かれるワールドカップなどをより多く開いた方がよい、という意見もあったという。ある意味、ノルウェー国民の冬季競技への理解度がいかに高いかを示しているデータでもある。
そうした基盤があればこそ、オスロは本命視されたし、期待も集まっていた。「盛り上がる場所でやりたい」という選手の声も聞こえてきたし、「大会でなじみのあるところですからね」というコーチの言葉もあった。
実はIOCも、オスロに期待していたという。
「オスロが将来に投資する素晴らしい機会を失い非常に残念」
オスロ撤退を受けてのIOCのコメントにも、無念さがにじんでいた。
冬季オリンピックは近年、財政負担の大きさが指摘されてきた。それがオスロのみならず、多くの都市の立候補断念をも招くことになった大きな一因だ。ソチ五輪で、ロシアが莫大な金額を費やしたと見られていることも、足踏みさせる理由となった。
もはや冬季五輪は開催都市頼みではなく、IOCも積極的に加わりつつ、財政面や運営面でバックアップする仕組みを考えなければいけない時期を迎えたと言える。その点に何らかの対策を施さない限り、開催できるのは国家の全面的なバックアップを受けられる都市に限られることになってしまうかもしれない。
混乱が続く平昌を見るにつけ、オスロの撤退は残念である。
ともかく、オスロが撤退したことで、2018年の平昌五輪に続きアジアでの開催は決定的となった。
それは、2010年のバンクーバーを最後に3大会続けて冬季競技の盛んではない都市での開催になる、ということでもある。
そういえば、2018年の招致活動にはミュンヘンが立候補していた。夏のオリンピックを開催したこともある都市だが、冬季競技の人気も高く、都市としての基盤もある。だが、最終選考で平昌に敗れた。
開催計画を巡る平昌の現在の混沌、準備の遅れなどとあわせて考えると、冬季競技の実績から期待を集めたオスロの断念は、皮肉な事態でもある。