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チームに捨てられた少年の復活物語。
F1新王者ベッテルの“長い旅路”。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byHiroshi Kaneko
posted2010/12/16 10:30
ユーロF3のルーキーイヤーでは総合ランキング5位だったベッテル。ちなみに、この時の王者はルイス・ハミルトンで圧倒的な速さを見せていた
「レース後にディ・レスタに会ったら、『セバスチャンが勝っちゃったよ』と落ち込んでいましたよ」
これはアブダビでテストしていた小林可夢偉が語っていた、ベッテルのチャンピオン獲得に対する第一声である。
ディ・レスタとは、現在フォース・インディアのサードドライバーを務め、2010年シーズンは何度か金曜日のフリー走行でF1マシンを走らせたスコットランド人である。そのディ・レスタが落ち込んでいたのには理由があった。なぜなら、4年前の'06年のユーロF3でディ・レスタがチャンピオンを獲得したとき、破った相手がベッテルだったからだ。
ユーロF3のタイトルを逃し、ベッテルの夢は遠ざかった。
メルセデスの育成ドライバーだったディ・レスタに敗れて、選手権2位に終わったベッテルの落ち込みようは尋常ではなかった。なぜなら、当時ベッテルはレッドブルの育成ドライバーのひとりに過ぎなかったからである。
21世紀に入って急成長したオーストリアのエナジードリンクメーカーであるレッドブルは、F1だけでなく多くのスポーツをサポートしており、当時も今も育成選手の競争が激しいので有名だ。
当時のベッテルはレッドブル内で、それほど高い評価を与えられておらず、F1へのステップアップを目指すためにはユーロF3のタイトルが絶対に必要だった。しかも、ディ・レスタはベッテルのチームメート。同じ車体を使うワンメイクであり、基本的に同じセッティングで走るチームメート同士ということで、ベッテルにとっては言い訳ができない敗戦だったのだ。
ちなみにベッテルとディ・レスタが所属していた「チーム・ASM」には、もう1人チームメートがいた。
それは小林可夢偉。
チャンピオンのディ・レスタと2位のベッテルが2年目だったのに対して、可夢偉はルーキーだったため選手権では8位に終わるが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している。