REVERSE ANGLEBACK NUMBER
無敗のバンタム級王者、山中慎介。
「美しすぎる左手」がうみだす破壊力。
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byKYODO
posted2013/04/17 10:30
左ストレートを武器に無敗で世界王座についた山中慎介。以来、ビック・ダルチニャン、トマス・ロハス、そして今回のマルコム・ツニャカオ(写真右)と3人の元王者を下して王座防衛を続けている。
去年、強く印象に残るふたりの手を見た。
ひとりはドラゴンズのベテラン捕手、谷繁元信の手。左右を同時に広げて見せてもらうと、明らかに左のほうがひと回り大きかった。本人もつい最近、大きさの違いに気づいたといっていた。理由はだいたい想像できた。20年以上もプロの140キロを超えるような速い球を受けつづけた左手は、ちょうど肉たたきで叩かれたステーキ肉みたいにひと回り大きくなってしまったのだろう。長い間雨粒に打たれてくぼんだ庭石を思わせた。
もうひとりの印象的な手はロンドンで金メダルを獲ったボクシングの村田諒太のもの。サインするためペンを持ったところを間近で見たのだが、こぶしの先端部分の色が変っており、骨ばった手の全体的なフォルムは普通の人と全く違っていた。武器としての有効性のために、あちこちノミで削って作り上げたような手は、なるほどボクサーの手とはこういうものだよなと納得させるイメージどおりのものだった。
「虫も殺さぬ」たおやかな左拳で相手の顔面を打ち砕く。
そのふたつの手を見ていたので、テレビで山中慎介の手を見たときはびっくりした。世界タイトル戦のプロモーションのための番組で、山中の売り物である左手を黒バックで大きく映していたのだが、その手はほっそりとたおやかで、「虫も殺さぬ」風情の実にきれいなものだった。
美少年のテロリストがもっとも残酷というのは映画や漫画でもよくある設定で、その点からいえば、山中の手は村田とは正反対の意味でボクサーらしいといえるかもしれない。
しかし、そんな理屈を思いついたのはだいぶあとからで、見た瞬間は、あの破壊的なパンチを生み出すのがこの手なのかと目を開かされる気がした。
去年の11月、山中がトマス・ロハスを倒した試合は、日本のボクシングのKOシーンのなかでも5本の指、いや3本の指に入るだろう。至近距離からねじこむように打ちぬいた左は顔面を容赦なくとらえ、ロハスは前のめりにリングに倒れこんだ。倒れ方のすさまじさはバンタムという階級を忘れさせた。
破壊的なKOパンチとたおやかな手。そのギャップに戸惑いながら、4月8日のマルコム・ツニャカオとの試合を見た。ロハス戦のKOが生涯一度の「傑作」なのか、それとも山中のポテンシャルからして当然の「アベレージ」なのか。