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フェラーリで耐久レース参戦の可夢偉。
来季F1復帰の可能性はどれくらい?
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byPanoramiC/AFLO
posted2013/04/08 10:30
3月下旬にフランス・ポールリカールサーキットで行われたWEC(世界耐久選手権)のテストに参加した小林可夢偉のマシン。
マネージャーの宮川はフェラーリとの太いパイプを持つ。
宮川がフェラーリとの交渉をスタートさせたのは、昨年秋。ザウバー残留が怪しくなっていたころである。
宮川はかつてジャン・アレジのマネージャーとして'90年代からF1界では知られた存在だった。アレジは'91年から'95年までフェラーリに在籍していたので、宮川には多くのパイプがフェラーリとの間にできていた。加えて、宮川は日本人の父親とイタリア人の母親との間に生まれたハーフで、イタリア育ち。当時チームのスタッフのひとりにすぎなかった若かりしステファノ・ドメニカリ代表とも、同じイタリア人として、そのころから親交を深めてきた。
同時に宮川はF1引退後にアレジをDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)で走らせ、そのときメルセデス・ベンツを通して現在のメルセデスAMG、そしてマクラーレンとも強いコネクションを築いた。さらにレッドブルのクリスチャン・ホーナー代表とも接触してきており、トップチームの内情を知り尽くす男である。
その宮川が選んだのが、フェラーリだった。
ドメニカリとの直談判で可夢偉のシートを掴み取る!
ところが、フェラーリは昨年10月中旬、フェリペ・マッサを残留させた。
その後、ザウバーの2つのシートも埋まり、F1残留を目指す可夢偉は自ら募金活動を始めるが、実を結ぶことなく終焉。
「2013年度の僕の活動については、F1以外のカテゴリーは考えていません」という言葉を最後に、メディアの前から姿を消した。
そんな可夢偉を見守り続けたのが、宮川である。
このまま可夢偉が日本に帰れば、復帰への道は完全に閉ざされてしまう。宮川は日本に帰った可夢偉と、自分のマネージメント会社があるイタリアから毎日のように電話で話し合ったという。恐らく、そこにはさまざまな葛藤と苦悩があったことだろう。果たして、宮川は一度、中断されたフェラーリとの交渉を再び始める。そして、「可夢偉ほどのドライバーが1年間レースをしないのはもったいない」とドメニカリにフェラーリ入りを決断させることに成功したのである。