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侍ジャパンのムードメーカー宣言!
松田宣浩、WBC日本代表への道。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byYuji Arakawa
posted2013/01/08 10:30
走攻守と揃った才能を持つ松田。チームメイトから“マッチ”と親しみを込めて呼ばれるほどの人気者になれるかどうかは、本番での活躍にかかっている!
鏡の前に立っている自分の姿を見ると、自然と笑みがこぼれてしまう。
「プロに入った時もホークスのユニフォームを着て、『カッコいいなぁ。似合ってるかな』と思いながら鏡に映る自分の姿を見て。今回もあの時と同じくらい嬉しかったです。誰でも着られるものじゃないですから」
昨年11月、キューバとの「侍ジャパンマッチ2012」でプロ7年目にして初めてジャパンのユニフォームに袖を通した松田宣浩は、感慨深げにその瞬間を回想する。
ジャパンのユニフォームを着る――。それは、彼にとってプロ野球選手として認められた証でもあるのだ。
松田のキャリアにおいて、初めてジャパンの一員となったのは亜細亜大時代だった。世界大学選手権では1年生で唯一、メンバーに選ばれ、日米大学野球には1年から2年連続で代表に選ばれた。
大学屈指のスラッガーとして注目を浴び、ソフトバンクに入団したのは2005年。この頃はちょうど、日本のプロ野球が世界に羽ばたこうとしていた時期でもあった。前年の'04年に初めてオールプロで臨んだアテネ五輪。松田がプロ1年目を迎える翌'06年には、第1回WBCの開催が決定していた。
これだけ身近にジャパンの存在があれば、いくらルーキーであっても意識するところだろう。しかし、松田の想いは正反対だった。
「『いつかはジャパンのメンバーになる』なんて考えは全くなかったですね。'06年はどちらかというと、『プロ野球選手になれてよかった』と満足していたくらいで」
日本代表選手たちのプレーを目にして痛感した、実力の差。
それ以外にも、ジャパンが縁遠いものだと痛感した出来事があった。
WBC開幕前にヤフードームで行われた全日本の練習でのこと。見学を許された松田は、トップクラスの選手たちのプレーを目の当たりにし、衝撃を受けたという。
「高卒でプロに入った同世代の今江(敏晃)や西岡(剛)が前の年にロッテの中心選手で日本一になってメンバー入りして、イチローさんとかトップクラスの選手たちと練習をしているわけですよ。かたや自分は実績もないルーキーだし。もう、別世界の住人という感じで」
その気持ちは、第2回大会でも変わることはなかった。
メンバー選考の重要な試金石となる前年の'08年、松田は初めてレギュラーに定着し、17本塁打とまずまずの結果を残した。日本代表入りの可能性としてはゼロでもない。
しかし、松田は冷静だった。
「この時も、まだまだって感じですよ。日本代表は、プロ野球全体やファンからも認められてなれるものじゃないですか。当時の自分の実力と照らし合わせてみると、『WBCに出たいなんて言えないな』と結論に達して。だから2回目も、『応援しよう』って、客観的にWBCを観ていましたよ」
松田がこれほどまでに俯瞰的に自分の力を分析できるのは、欠点が数字となってはっきりと表れていたからだった。