ロンドン五輪EXPRESSBACK NUMBER
ついに日本卓球界の努力が結実!
福原、石川、平野達の“夢のメダル”。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTetsuya Higashikawa/JMPA
posted2012/08/08 17:00
表彰式での3人は、とにかく笑顔、笑顔、笑顔。北京五輪のリベンジとなった福原(写真左)と平野(写真中央)だけでなく、石川(写真右)も嬉し涙を流した。
三輪の花が咲いているようだった。
8月7日、複数の競技の会場となっている「エクセル」の卓球場。照明の落とされた場内の左手、表彰台を、スポットライトが白く照らし出している。
表彰台の向かって左にいる福原愛は、なにやら花束をのぞきこんでいる。真ん中の平野早矢香が満面の笑みだ。右に立つ石川佳純は、じっと銀色のメダルをのぞきこんでいる。
「表彰台でメダルをかけてもらって、夢じゃないんだな、夢がかなったんだって思いました」(福原)
「日の丸が揚がったときは感動しました。今までに味わったことがないくらいでした」(平野)
「オリンピックのメダルはこんなに重いんだって思いました。ほかのメダルと全然違います」(石川)
決勝戦を終えた卓球女子団体の3人は、中国に敗れ優勝こそ逃したが、日本卓球界初の五輪メダルを得た喜びを、素直に表していた。
たくさんの知恵と労力が注ぎ込まれた末の銀メダルである。
その裏には、長い長い時間をかけた日本卓球界全体の取り組みがあった。
かつての日本は、世界の卓球界を完全に制覇していた……。
日本はかつて、卓球王国と呼ばれる実績を築いていた。
例えば、世界選手権団体戦では、男子が1954年の大会を皮切りに7度優勝し、女子は8度の優勝を数える。
だがその後、中国が徹底した英才教育で取って代わる。対する日本は、人材難、育成の遅れなどで地位を後退させていき、低迷の一途をたどった。
脱却を図るため、'80年代の後半に入ると、小学生以下、小学4年生以下といった年代別の全国大会を設ける。福原の登場で卓球への注目が集まると、'01年には小学生のナショナルチームを結成し、国内外での合宿をはじめ強化を開始する。石川も以前はそのメンバーだった。
将来性ある選手の発掘、いち早くナショナルチームに引き上げる枠組みを築き、強化を継続してきた。それは近年の世界選手権でのメダル獲得などで、着実に成果を上げてきた。
残るは、オリンピックでのメダルだった。