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<金メダルへの自己改造> 松田丈志 「怪物フェルプスを超えろ」
photograph byTamon Matsuzono
posted2012/07/04 06:01
大会によって、意図的に泳ぎ方を変える“実験”も。
久世が松田の短水路世界新記録を予感したのは、松田がそのドルフィンキックに取り組んでいるときだった。
松田と一緒にビニールハウスプールに入るとドルフィンキックの成長は目に見えて分かった。
コーチの久世は「体についた泡の切れ方」を見ていると教えてくれた。腰からではなく胸から体をしならせていれば、みぞおちのあたりから細かい水泡が飛び散っていく。水中でドルフィンキックを見ると、うちわをあおぐような速さでそろえた両足が振られていたが、それでいて肩から先は動かない。頭のてっぺんがプールの反対側の一点を差し、ぶれなかった。すれ違うときの波の水圧は、隣のコースにいてもよろけそうに感じるぐらい力強かった。その感想を松田に伝えると、それが大きな改善点だと言った。
松田は北京五輪後、ドルフィンキックだけでなく、スピードを上げることも課題にしてきた。そのためのテストを段階的に試みてきた。2010年のアジア大会と2011年の世界選手権では、泳ぎを意図的に変えたという。
「アジア大会のときは、上半身が水上に浮くのを抑える感じで、低くぐっと出ていく泳ぎでした。抑えることがもしかしたら無駄な力なのかもしれないという懸念もあったので、世界選手権では上半身を抑えずにふわっと浮かせてみました。抑えていた力を解放してやるイメージです。そして結果を見てみたら、タイムはほぼ一緒でした。結論としては、アジア大会の泳ぎ方をオリンピックまでやっていくことに決めました。世界選手権は体力的な部分で力がついてあの結果でした。アジア大会の時の方が、泳ぎ自体は良かったと思います」
「クレージーと言われるぐらいやらないと、君が代は聴けない」
世界選手権での泳ぎでも、ロクテのキックを加えればフェルプスに勝てる、と松田は踏んでいる。アジア大会仕様に戻してさらに磨いた泳ぎと組み合わせれば、フェルプスが五輪に合わせて調子を上げてきても勝てるという計算だ。
'08年北京五輪の後、フェルプスに勝つためだけに競技を続けてきたと言っても過言ではない。試そうと思ったことはすべて試し、やるべきことが定まった。
「あとはやるべきことをやって、答え合わせをするだけ。それがロンドン五輪です」
いつもそばにいる久世は「コツコツやって強くなるしかない。クレージーだと言われるぐらいやらないと君が代は聴けませんよ」と言い切った。
ハードな練習を積み重ねる。それが金メダルに続く王道なのだと、2人は確信している。