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孤高の競技者・室伏広治の告白――。
ロンドンとハンマー、そして人生。
text by
藤森三奈Mina Fujimori
photograph byAsami Enomoto
posted2012/06/29 10:30
6月初旬に開かれた日本選手権の男子ハンマー投げで、堂々の18連覇を達成した室伏広治。いったいいつまで連覇が続くのか……予想もつかないほどの圧勝劇。
躓き悩み、幾度ものスランプを乗り越えてきた室伏。
室伏広治はまさに、ハンマー投を「極めた」アスリートだ。
3歳の頃、発泡スチロールで作った手製のハンマーで遊び始め、7歳のときに初めて子供用の3kgのハンマーを投げた。父、重信は、アジアの鉄人と言われたハンマー投の選手である。その父の指導を受けたのは9歳のとき。そこから順調に、サクセスストーリーが始まった……と世の中では思われているかもしれないが、決してそうではない。躓いて悩んだり、スランプを抱えて乗り越えてきたのは室伏自身なのだ。
室伏が中学に入り陸上部で選んだのは、三種競技B(砲丸投、走幅跳、400mの合計記録を競う)だった。高校は父親のアドバイスから、親元を離れ、千葉県の成田高校に入る。そこでも槍投げ、走幅跳、三段跳、ハードルなどさまざまな競技にチャレンジした。
ハンマー投を始めたのは高校1年の夏前だった。ここから父との本格的な師弟関係が始まる。9歳のときハンマー投を教えてくれた父が、その後積極的に教えてくれなかったのは、広治の体では世界で互角に戦うのは難しいと判断したからだった。父、重信は体重を心配していた。他の選択肢を与え自由にさせたのは父であり、その父は師としていつの日か、息子から「ハンマー投を教えてほしい」と言われるのを待っていたのだ。
金メダルから7年後。36歳にして、ふたたび世界の頂点に立つ。
それからの室伏は、38歳で自己記録を更新した父を目指し、そして、超えようとやってきた。世界に出てからは、自分よりひと回りも体格の大きい選手たちを超えるために、オリジナルの練習法や体力作りに没頭した。
2004年アテネオリンピックでの金メダル獲得。
それまでには険しい道のりがあった。そして、その後、年齢を重ねながら投てきの距離を伸ばし、質を高めていく挑戦はさらに険しく孤独なものだった。80メートルスロワーが世界に増えていく中、それをコンスタントに超える力を手に入れなくてはならなかった。
2011年は新しい取り組みである「チームコージ」が成果を出す最高のシーズンとなった。8月の世界陸上(韓国・大邱)。36歳になっていた室伏は、陸上の世界最高峰と目されているこの大会において、大会史上男子最年長での金メダリストとなる。アテネで世界の頂点に立ってから、すでに7年の月日が経っていた。