自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
電車で縦断できない東京西部を行く。
自転車らしい発見のある不思議旅。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2012/03/27 06:00
東京西部を縦に走る間、たくさんの鉄道路線をまたぐことになる。写真は世田谷線のピカピカの新型車両。こういう鉄道と自転車がもっと気軽にリンクするようになれば、都市交通網はますます快適になるに違いない。
“お屋敷”と“普通の家”の中間の家が並ぶ久我山。
線路をくぐって西荻窪の南側に入ると、街並みがみるみる「普通の街」から「お屋敷街」に変化していく。
それもそのはず、エリアは中央線沿線、から、井の頭沿線に名を変え、この辺は東京でも屈指の広域高級住宅地の久我山に入っていくからだ。
久我山というと、私は青少年時代、高校野球のメッカというくらいに思っていた。多くの非東京人にとってそうではないだろうか。その理由は、もちろん国学院久我山高校があるからだが、それだけの理由で町のイメージは大きく変わる。高校野球、恐るべし。
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だが実際の久我山は“お屋敷”と“普通の家”のちょうど真ん中程度の小綺麗な家が集まるアッパーミドルの邸宅地だ。
井の頭線沿いをちょいと左に曲がって東側に向かってみる。このあたり、井の頭線は、そのまま神田川に沿っていて、その横にサイクリングロード(実は自歩道。歩行者優先ですよ)のような道がある。
このシリーズ第3回、神田川のルートでも書いた通り、のんびりしたいい道だ。
おお、神田川の河畔(?)に梅が咲いてるよ。今年は寒すぎて一月遅れだそうだ。しかし、間違いなく春はやってきている。
全国の希望ヶ丘ニュータウンのことを思って、モヤモヤする。
京王線の八幡山駅近くを越える。
「希望丘まちかど図書室」と名付けられた図書館の前で子供たちが遊んでる。地元の団地、希望ヶ丘団地の中にある図書館で、ここいらの小学校、中学校には、みんな「希望丘」の名前が付いている。
全国に、この「きぼうがおか」という名前の団地はいったいどれだけあるんだろう。昭和40年代、50年代にかけて新しく造成したニュータウンの、ネーミングナンバーワンがおそらくこの希望丘(または希望ヶ丘、希望が丘)だ(と私は推測する)。
その前の世代、つまり昭和20年、30年代は「平和台」だった。戦後の平和、高度成長の希望、と、新しく付けられる名前には、その時代の願望が冠せられるのだろう。ちなみに戦前戦中は「勝利」だ。
では、今は?
今は、何なんだろうなぁ。
今の今なら、さしずめ「絆」だろうか。「絆が丘」「絆ショッピングモール」なんて、結構、ありそうな気がするね。今なら。
でも、たとえば平成に入っての20年をとってみると、そこにピタッとはまる、国民みんなが「いいね」と思える語がない。
それだけ時代は拡散し、皆で共有できる価値観がなくなってしまったということなのだろう。
それは必ずしもワルイコトじゃない。
が、そんなにイイコトでもない。
どちらかといえば、どっちなんだろう。それが分からないことが、大げさに言うと、現代という時代の混迷を生んでいるようにも思えてくる。
放置自転車地獄だった経堂が、駅前駐輪場天国に大変身!
小田急線の経堂駅前に着いた。
ここで私は不意に猛烈なる感銘を受けてしまう。何にって、駐輪場の充実に、だ。
この経堂という駅は、7、8年も前は、駅前の放置自転車がひどくてね。駅すぐの歩道は、とにかく自転車で埋まりまくっていて、歩行者が通るのさえも困難だった。通るのが困難だから歩行者が車道に出てくる、で、クルマが後ろから突っかけて、クラクションを鳴らす、というタマラン状態が放置されていた。
さすがの私も、この放置自転車の数では、全部を収容するのは難しいかなぁと思っていた。
ところが、どうだ。
今、駅ビルのショッピングセンターすぐ奥にある高架下には、大規模かつ最新式の駐輪場が用意され、歩道脇にも生け垣とともにオシャレな駐輪スペースが多数作られている。その結果、いわゆる放置自転車は、ほぼゼロになった。
さすがは小田急、さすがは世田谷区。私は感動したよ。やればできるのだ。
よくよく見て気づくのは、そうしてここに停めている自転車が、いちいち小綺麗で、スポーツバイク率が非常に高いことだ。
身も蓋もない現実だが、やはり“民度”というものはある。この駅前の整然とした自転車収容は「経堂」という町の「中程度の高級住宅地ぶり」と無縁ではない。
こういう駅前、こういう町が増えていくと、日本の自転車状況は、もっと幸せなモノになると思う。
<次ページへ続く>