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電車で縦断できない東京西部を行く。
自転車らしい発見のある不思議旅。 

text by

疋田智

疋田智Satoshi Hikita

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photograph bySatoshi Hikita

posted2012/03/27 06:00

電車で縦断できない東京西部を行く。自転車らしい発見のある不思議旅。<Number Web> photograph by Satoshi Hikita

東京西部を縦に走る間、たくさんの鉄道路線をまたぐことになる。写真は世田谷線のピカピカの新型車両。こういう鉄道と自転車がもっと気軽にリンクするようになれば、都市交通網はますます快適になるに違いない。

出来杉君の街・大泉学園と、のび太の街・石神井!?

 石神井といえば、私にとっては「ドラえもんの町」だ。そうでもない? いや、私世代などにとっては明らかにそうで、ドラえもんの物語世界はこの町を想定していたのだそうだ。目の前のこの風景のどこかにのび太は住み、しずかちゃんが住み、ジャイアンの店があり、スネ夫の邸宅があった。ついでに言うと、あのマンガの秀才キャラ、出来杉君だけは、隣町の大泉学園の方が似合ってる。

 当時、のび太やジャイアンが集まる近所の遊び場は、土管が3つ重ねて置いてある、小さな空き地のようなものだった。

 土管だよ。確かにあれも昭和を象徴する風景だったな。高度成長のさなか、あちこちで都市開発が急ピッチで進み、下水や共同溝を掘るためにああした土管が常に各地の空き地に置いてあったものだ。

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 おそらくこの石神井もかつては空き地が色々あって、土管がそこに置かれていたのだろう。ま、今となっては「完成された住宅地」だ。

 有名な「石神井公園」は、都の広域避難場所にも指定されている大公園である。のび太の空き地とはわけが違う。

 この石神井という場所は、なぜか昔から漫画家がよく住むところで、有名どころをあげるだけで、弘兼憲史・柴門ふみ夫妻(昨年吉祥寺に越したみたいだが、長らく住んでいたのだ)、古谷三敏、そして、吉沢やすみがいる。ど根性ガエルだ。そうか、この町はドラえもんの町であると同時に、ひろしの町だったのだ。ゴリライモの町で、梅さんの町で、おやびーんの町だったのだ。

 家の一軒一軒は建て直されてしまい、ここはもう高級住宅地の風格さえあるけど、かつては庶民の町だった。今だって、一軒一軒の庭に、柿の木があり、山茶花の生け垣があり、マンガに出てくるあの面影は残っている。

東京西部を縦に走る細かいバス路線と、自転車の競合が課題。

 石神井公園からさらに南下し、西武新宿線の踏切を越えると、いつのまにか地名が杉並区井草に変わる。西武新宿線はかつての中央線に似て真っ黄色だけど、ドアだけ銀色のステンレス。伝統の車両だ。

 このあたりを貫く縦ラインは、鉄道がないだけに、どの道にもきめ細やかにバス便が通っている。西武バスと都営バスと関東バス。

 ただし、道路の縦ラインは、青梅街道や、五日市街道などの横ラインと違って、細い。道幅が狭いのだ。

 バスは当然、車体がデカい。そして、練馬・杉並・世田谷と続くこのあたりは、道路インフラがまがりなりにも充実しているために、歩道と車道の間にガードレールが必ず整備されていたりする。

 ということは何を意味しているか……必然的に自転車が走るスペースがないのだ。

 車道を走ると、バスが幅寄せしてくるような格好になり、うわお、脅威。肘をあげるとバスに接触しそう。

 ところが、歩道を走ると、今度は普通の歩行者が普通に多く、歩道自体が狭いので危なくて通れない。

 参ったね、道路と町の抜本的改善が必要だと本気で思う。

 縦ラインは駅前と駅前、すなわち街と街をつないでいる。ということは、駅前繁華街、住宅地、また駅前繁華街、住宅地……、が延々と繰り返されるということだ。住宅地を抜け、次にきた街は、中央線の西荻窪駅だった。

「にしおぎ北銀座街」という昭和感横溢の商店街を抜けると西荻窪の駅前。中央線沿いのこうした佇まいは、何か懐かしくて、ホッとするような暖かみがあるな。

 そう思うのは、私が幼少期を三鷹で過ごしたからか、それとも誰にとっても、なのか。中央線沿線の一般的な印象からいっても、後者のような気がする。開発が古い、ということは古いものがたくさん残っているということだから。

【次ページ】 “お屋敷”と“普通の家”の中間の家が並ぶ久我山。

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