スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
カーターの逝去と25年の歳月。
~往年の名捕手の死を悼む~
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byGetty Images
posted2012/02/25 08:01
通算2092安打を放ち、1992年に現役引退。2003年に殿堂入りを果たした
2012年2月16日、ゲイリー・カーターが亡くなった。脳腫瘍。57歳の若さだった。
こんなに早く、彼がいなくなるとは思っていなかった。1980年代中盤のメッツを覚えている人なら、みんなそう感じたはずだ。あのころのメッツには、キース・ヘルナンデスがいた。ダリル・ストロベリーやドワイト・グッデンやロン・ダーリングがいた。誰も彼もが曲者ぞろいで、なかではカーターが最も健康そうに見えた。「キッド」という綽名にふさわしく、いつも花が咲いたように笑っていて、メッツのなかでもいちばん長生きするのではないかという印象を与えた。少なくとも、私はそう思っていた。
カーターは、どっしりした捕手だった。ジョニー・ベンチの再来ともカールトン・フィスクの後継者とも呼ばれたことがある。楽天的で、親切で、人を裏切らない性格だったといわれている。だから、エゴイストで神経質な投手たちにも信頼された。グッデンやダーリングだけでなく、ボビー・オヒーダやシド・フェルナンデスも、カーターが受けるときは安心して投げているように見えた。ひと言でいうなら、カーターは「野球の善」を体現するような捕手だったのだ。
1986年のワールドシリーズ、絶体絶命のメッツをカーターが救った。
一方で、カーターは危険な打者だった。
300本塁打、1000打点、2000本安打をまとめてクリアした通算成績も立派だが、彼の打棒はシーズン終盤になると揮った。私のなかでは、9月と10月によく打つ選手、という印象がある。捕手の激務に耐えながら終盤に活躍したというのは、よほど体力があったのだろう。
なかでも記憶に鮮やかなのは、やはりあの打席だろうか。
1986年10月25日のワールドシリーズ第6戦の10回裏。メッツは絶体絶命の土俵際に立たされていた。対戦成績2勝3敗。スコアは3対5。相手はレッドソックス。
レッドソックスのマウンドには、カルヴィン・シラルディが登っていた。シラルディは2死無走者で4番カーターを打席に迎えた。
カーターは初球をファウルした。つづく2球を見送り、4球目をレフト前に運んだ。最後の希望に灯がともった。
以後は歴史である。代打のケヴィン・ミッチェルがつづき、6番レイ・ナイトもセンター前に落とした。3連続シングル。カーターが2塁から還った。レッドソックスの投手は、ボブ・スタンリーに代わった。打席はムーキー・ウィルソン。スタンリーのワイルドピッチでミッチェルが本塁を踏んだあと、ファウルで粘ったウィルソンは、ボテボテの一塁ゴロを放った。
これをビル・バックナーがトンネルした。球史に残る世紀のエラーだ。ナイトが生還した。メッツは奇跡的な逆転勝利を収め、第7戦も制して、この年のワールドチャンピオンに輝いたのだった。