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<日本代表名勝負異聞> '94W杯アジア予選 vs.韓国 「西野朗と山本昌邦のスパイ大作戦」
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byNaoya Sanuki
posted2010/03/30 10:30
韓国に勝利し2勝1分1敗で予選グループ首位に。このあと“悲劇”が待っていようとは
「あと5秒だったんだ」とオフト監督は繰り返し呟いた。
3試合が同時開催の最終日、山本は韓国対北朝鮮戦の会場にいた。他会場の結果次第で韓国に予選突破の可能性があるため、急遽、解説者として放送席に座ることになったのだ。
「北朝鮮に3-0で勝ったのに、韓国はゴール裏の応援団の前でうなだれている。ところが、スタッフがダッシュしていって、選手がいきなり飛び上がって喜んで。日本が2-1で勝っていると聞いていたので、サウジが落ちたんだなと思ったんですが……」
ホテルへ戻った山本は、夕食後にオフトの部屋へ招かれる。スタッフだけの慰労会だった。「あと5秒だったんだ。あと5秒だったんだ」と、オフトは何度も呟いた。
直行便のないドーハで行なわれた最終予選のために、日本協会は史上初めてチャーター便を用意した。コックも帯同させた。スカウティング専門スタッフの起用も初めてだった。
それでも、W杯には届かなかった。
世界で勝つためには1%のスキもあってはならない。
「オフトの話を聞きながら、負けたのはまだ何かが足りないからでは、と思ったのを覚えています。僕らのスカウティングが勝敗に占めた比率は、1%くらいだったかもしれない。でも、その1%が選手の自信や安心感につながったり、試合中の駆け引きの材料になったりする。世界で勝つには1%のスキも作らない準備をしなきゃいけない。僕自身は多くのことに気づかされて、“ドーハの悲劇”と言われたこの経験をエネルギーに変えていかなきゃいけない、と強く思いました」
オフトのチームを後方支援した山本は、翌'94年にU-19日本代表コーチに再び就任する。並行してU-21日本代表コーチも任され、アトランタ五輪出場を目ざす西野監督をサポートしていく。“ドーハの悲劇”を人知れず経験した二人は、彼ら自身の力で世界への扉をこじ開けることになる。