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<『Dear KAZU』出版記念> トニーニョ 「彼が日本サッカーを世界に知らしめた」 ~カズへの6通のエール~
text by
藤原清美Kiyomi Fujiwara
photograph byDaisuke Ito/Koji Asakura
posted2011/12/14 06:00
『Dear KAZU 僕を育てた55通の手紙』刊行特別企画。
時に頼れる味方として、時に警戒すべき相手として、
同じピッチに立った6人の選手が送る6通のエール。
第2回は、ブラジルと日本の両方でカズと共にプレーした経験を持つ
トニーニョ(元・読売クラブ)からのメッセージを公開します。
僕とカズが出会ったのは、キンゼ・デ・ジャウーだった。あのクラブは僕が15歳で本格的にプレーを始めた原点だ。
カズにとってもそうだったはずだ。当時のキンゼ・デ・ジャウーは将来有望な若いタレントの育成に定評のあるクラブだった。そんな中でも、カズは一際目立つ少年だったよ。彼はブラジルでサッカー選手としてのベースを作ったんだ。
一緒にプレーしたのは、タッサ・サンパウロ・ジ・ジュニオールという、当時U-21のカテゴリーが争う大会。僕はもうプロで、カズはそのカテゴリーでプレーし始めたところだった。彼が初めてのチャンスを得たのが、あの大会だったんだ。
'91年に読売で再会した時は、彼はもう日本のアイドルだったね。Jリーグ開幕前で、アマチュアの日本リーグの最後の年。僕らはほとんどすべてを勝ちとった。日本リーグ、ナビスコカップ……。あの年、僕が得点王で、カズが年間MVPだった。すごく良いチームだったんだ。カズがいて、ラモス瑠偉や北澤(豪)、武田(修宏)がいて。
初めて会った時から彼のレベルは高かったよ。日本だけでなく、ヨーロッパでもそれを見せた。
青春時代と、プロとしての全盛期の一部を共に過ごしたカズ。
彼にはこの先もプレーを続けて欲しいね。カズは日本人だけでなく、世界中の人にとっても決して忘れられない選手になるよ。なぜなら、彼によって日本サッカーを知った人も多いはずだから。ブラジルでも、ヨーロッパでも。日本人として、日本サッカーを世界中に知らしめた選手なんだ。もちろん、日本国内にサッカーの魅力を伝えた選手でもある。
僕は引退後、しばらくは弟と一緒に、サッカー選手の代理人をしていたんだけど、今はジャウーの近くにある私設クラブで、U-20チームの指導をしているんだ。とてもやりがいのある仕事だけど、僕の夢は、日本のチームで監督をすること。いきなりJリーグとは言わない。学生チームやサッカースクールから始めてもいいんだ。愛する日本に帰りたいし、日本サッカーという舞台に、今度は指導者として挑戦したい。
その時には、またカズに再会したいね。青春時代と、プロとしての全盛期の一部を共に過ごしたんだ。これからも同じフィールドにいられたら、僕にとって幸せなことだよ。
文藝春秋BOOKS
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