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<独占インタビュー>
A・ゴトビ 「エスパルスの革命は、
まだほんの序章にすぎない」 

text by

田邊雅之

田邊雅之Masayuki Tanabe

PROFILE

photograph byShigeki Yamamoto

posted2011/08/20 08:01

<独占インタビュー> A・ゴトビ 「エスパルスの革命は、まだほんの序章にすぎない」<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

そもそもプロサッカーチームでプレーしたことが無く、しかもUCLAの理学部卒業というエリートでもあったアフシン・ゴトビ監督。13歳の時に起こったイラン革命の余波を恐れアメリカに亡命して以降、アメリカ国籍での人生に変わったという

アフシン・ゴトビとは何者なのか?

イラン人にしてアメリカ国籍を持つサッカー指導者……という、非常に複雑なバックグラウンドを持つ清水エスパルスの新監督。

ヒディンク監督の懐刀として、ハイテクを駆使し日韓W杯で韓国代表チームをベスト4にまで導き、故国のイラン代表監督を務めてアジア大会でベスト8まで進出させた男。

選手の大量流出で崩壊寸前と言われた開幕から、シーズン折り返し地点で中位に位置するところまで辿りついた今。ゴトビ監督が進めているという「革命」の内実を尋ねてみた。

――まずは今シーズン、エスパルスを率いるようになった経緯から教えて下さい。

 知っての通り、私は日韓W杯の時に韓国代表でヒディンクのアシスタントを務めた。当時から、いつかは日本で働きたいという気持ちがあったんだ。ピム・ファーベークとは'98年のW杯以前からの知り合いで、大宮アルディージャのチーム作りにも深く関わったしね。

 実際、以前もJリーグのチームから誘いを受けたことはあったけど、去年はイラン代表との契約が残っていたから動けなかった。でも契約が終わりに近づいたときに、ちょうどエスパルスから話をもらったんだよ。

――しかし1月1日に天皇杯の決勝が終わった直後から、エスパルスでは大量の選手流出が始まりました。そのまま監督を引き受けることに躊躇はなかったですか?

 そのことを知ったのはアジアカップの最中だった。たしかに最初は心配したよ。若手が多いだけでなく、ベテラン勢も故障を抱えていたわけだからね。でもエスパルスは選手を補強すると言っていたし、自分なら何とかできるはずだという自信があった。

――普通は尻込みしてしまうと思います。

  そもそもイランの代表チームを率いたり、日韓W杯の時に韓国代表の戦術分析官をするのだって、並大抵の神経じゃ務まらない仕事だ。尻込みしたりはしなかったよ。

 それに私の座右の銘は、「人生がレモンのように酸っぱい試練を与えるなら、そのレモンで美味しいレモネードを作って飲めばいい」というものなんだ(笑)。困難な状況こそ人を成長させる。優秀な選手が揃った強いチームの監督をするのは誰にでもできるけど、体制が大きく変わったチームで、何かを生み出せる人間は少ない。だから大変ではあるけれど、すごくやりがいのある仕事だとも思ったんだ。

「驚いたのは日本の人たちが、実に感情豊かで情熱的だったこと」

――実際に日本に来てみた感想は?

 驚いたのは日本の人たちが、実に感情豊かで情熱的だったことだね。これは信じられないような悲劇や災禍といったものを何度も乗り越えてきたからだと思う。第二次大戦のような戦禍から立ち直って、世界指折りの経済大国になったような国が他にどれくらいある? 春に起きた大震災の後、みんなが見せた団結心だってそうだ。自分はイラン生まれでアメリカのパスポートを持っている人間だけど、日本と日本人のことを心から誇りに思うよ。想像していた以上に美しい国でもあったしね。

――とは言え日常生活に関しては、さすがに苦労されたのではないですか?

 英語を喋れる人が少ないとか、テレビのリモコンであれ車のパネルであれ、全部日本語で書いてあるというような不便さはあるよ。レストランで「オリーブ」を頼むのだって一苦労だ。英語で「オーリーブ」と言ってもだめ。日本式に「オリーブ」と発音しないと誰もわかってくれない。まさに映画の『ロスト・イン・トランスレーション』の世界さ(笑)。

 今、エスパルスでは通訳を頼んでいるけど、これだって慣れるまでには大変だった。LAギャラクシーでコーチをしていたときは当然英語でコミュニケーションをとっていたし、イラン代表監督の時も最後はペルシャ語で指示を与えていたわけだから。

【次ページ】 選手の全データを記録し、巨大なデータベースを作る。

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