ベースボール・ダンディBACK NUMBER
大人になった五十嵐亮太が、
ヤクルト浮沈のカギを握る。
text by
田端到Itaru Tabata
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2009/09/30 12:10
マウンドに立つ五十嵐亮太の後ろ姿を見ていると、速球王子として名前を売った頃とは身体のラインが違うことに気づかされる。
日本人最速の158kmを4度マークして、最優秀救援投手のタイトルを獲得したのが2004年。当時に比べて、尻がひとまわりでかいのである。ミス・ユニヴァースに出場しているわけではないから、正確なヒップサイズの変化は知るすべもないが、間違いなく下半身がどっしりと、ゴツくなっている。
このでかくなった尻こそが、五十嵐亮太の成長と、故障による雌伏の日々の鍛錬を物語る。クライマックスシリーズ進出を懸けた、激烈な3位争いのカギを握るのはこの男だ。
故障に泣いた荒木、伊藤の両投手コーチが復活を支える。
五十嵐亮太をマウンドに送り出すのは、荒木大輔投手コーチ。ブルペンで調整役を任されているのは、伊藤智仁投手コーチ。彼らが並んだ映像を目にするたびに、その共通点に思いを馳せずにはいられなくなる。
荒木大輔は現役時代、ヒジなどの故障による約4年半のブランクを経験し、奇跡的な復活を遂げた。伊藤智仁もまたヒジの故障による3年近いブランクを経て復活、カムバック賞を受賞した。
五十嵐亮太の華やかなキャリアに影が差したのは、'06年のことだった。右ヒジの靭帯断裂という投手生命に関わる大ケガ。手術、リハビリを経て、マウンドに戻ってきたのはそれから1年半後、'08年の開幕戦だった。
しかし、投げられるようになったからといって、球の中身までがそう簡単に元通りになるわけではない。スピードガンの数字こそ、それなりに速球王の片鱗を見せていたものの、力のないストレートを痛打される場面も多く、故障前に比べると劣化は明らかだった。
「もう二度と、あの浮き上がるような高目の快速球は見られないのか」
「日本人初の160kmのストレートを望むことはもうできないのか」
五十嵐亮太の一ファンとして、私はここ数年間、幾度となく歯がゆさにとらわれた。
速球投手の旬は短い。プロ野球を見続けていれば、ほんのわずかな期間の輝きだけを残して、消えていった速球投手がいかに多いかはよく知っている。彼もその例に漏れないのかと、なかば諦めたこともあった。