北京をつかめ 女子バレーボールBACK NUMBER
Vol.9 多治見麻子 “1日1日”の先に
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byToshiya Kondo
posted2008/03/03 00:00
V・プレミアリーグ女子は最終・第3レグに入り、ファイナルラウンドに出場できる四強をめぐる争いは激しさを増している。
かつての常勝チーム・パイオニアも、今年は四つ目の椅子を争う渦中にいる。パイオニアとの出会いを「第二のスタートだった」と振り返る、35歳のベテラン・多治見麻子は、今そのチームを立て直そうと、もがいている。
昨春、多治見は8年ぶりに全日本に復帰した。集められた8人ものセンタープレーヤーの中で、最年長34歳の多治見の踏み込みは誰よりも力強く、浮き上がる太腿の筋肉は誰よりもたくましかった。
「小さい分、ジャンプしなきゃいけないですからね」
8年ぶりの全日本で、まず感じたのは、周りの選手の高さだった。
「以前はこの身長(180cm)でも大きい方だったのに、今は下から数えて何番目か、というところ。『あー、私ちっちゃいな』と思いましたね」
それでもVリーグで結果を残し、昨年堂々と全日本に返り咲いたのは、安定したプレーの下支えとなる肉体があったからこそ。「今は怪我もなく、コンディションがいい。昔全日本でやっていた時よりも、今の方がジャンプできるし、動けています」と話した。
多治見がその体を作り上げることができたのは、パイオニアというチームに出会ったからだった。
八王子実践高時代、18歳で全日本に選ばれ、1992年のバルセロナ五輪、1996年のアトランタ五輪に出場。ただ、輝かしい戦歴の一方、毎年全日本と国内リーグの繰り返しで、十分に体作りをする期間がないまま年を重ねていた。特に1997年に全日本の主将になってからは、その責任感ものしかかり、多治見は自分の体の悲鳴に耳を傾ける余裕もなく無理を重ねた。
結果、手術が必要なほどの故障に見舞われ、2000年のシドニー五輪予選に出場する事ができなかった。そのシドニー五輪予選で、日本は初めて五輪出場を逃した。
「自分をほっぽって、無理をして、結局チームに迷惑をかけてしまった。シドニー五輪予選は、メンバーに入れなかったことも、負けたことも、悔しかった……」
その後、一度は引退を考えた。
「でもやっぱり、このまま終わらせちゃいけない、と思ったんです。怪我を治して、もう一度コートに、自分らしく立ちたい。だから、『バレーの原点に帰ろう。まず、怪我をしない体を作ろう』と考えました」
その頃、所属チームの日立が廃部になり、多治見はパイオニアへ移籍。そこで、アリー・セリンジャー監督と出会った。その年、多治見は29歳になった。
「それまでは、30歳前になると、『もうおばさんだからダメだ』みたいな感じだったけど、セリンジャーは、『まだまだだ』と言うんです。『選手は、30過ぎてからだ』って。普通30歳近くになると、『いいよいいよ』というムードで、うるさく言われることはなかったのに、セリンジャーは逆に、『上がやらなくてどうするんだ!』って怒るんです。『なんでこの年になって、こんなに怒られなきゃいけないの?』っていうくらい(笑)」
また、全日本から離れ、パイオニアで初めて夏場にじっくりと体作りをする時間ができた。
「始めはきつかったですね。『ウェーッ! なんでこんなところに来ちゃったんだ』って思うくらいでした」
そんな厳しくも新鮮な環境が、多治見を再生させた。
多治見だけでなく、前全日本主将の吉原知子や内田役子など、ベテラン選手を主力に据えたパイオニアは、2002年に初めてVリーグで四強に入ると、2004年に初優勝。2005年準優勝、2006年は再び優勝。“したたかな常勝チーム”のイメージができあがった。
しかし今年、そのパイオニアが苦しんでいる。昨年内田が引退(今季途中に復帰)し、セッターが世代交代したが、多治見、栗原恵、庄治夕起の主力3人が全日本に選ばれていたため、コンビ練習やチーム練習をつめることができないまま、V・プレミアリーグの開幕を迎えてしまった。チームの形が確立されておらず、いい時はいい、悪い時は悪いという不安定な状態が続き、5年連続の四強入りが危ぶまれている。
「昨年までは悪くてもギリギリキープできていた部分が、一気に崩れてしまった。最近は少しチームらしくなってきたけど、やっぱり昨年までに比べると、パイオニアらしさとか強さというものがない。いいプライドを持ちながらも、今までとは違うんだ、ということを認識しないといけないと思います」
チームの苦境に、多治見は、スパイクやブロックで周りを奮い立たせるだけでなく、若手選手と積極的に話をするなど、心を砕いている。
Vリーグが終われば、5月には北京五輪世界最終予選が控える。出場がかなえば、多治見にとっては三度目の五輪となる。
しかし、「今はリーグのことでいっぱいいっぱい。先のことよりも、まず目の前の1日1日です」
今は、自分を再生させてくれたチームを立て直すことに必死。三度目の五輪は“目の前の1日1日を頑張った先にあるもの”と捉えている。