Column from Holland & Other CountriesBACK NUMBER
アジアから来たオジサン選手。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2005/08/03 00:00
オーストリアでがんばっている、アジアから来たオジサン選手がいる。
徐正源。35歳。3人の子持ち。
この元韓国代表のウィンガーは、現在SVリードの主力としてオーストリア・リーグで活躍中だ。7月24日のザルツブルク戦では3対0の勝利に貢献して、第3節のベスト11に選ばれたほど。オーストリアには、2005年2月にやって来た。
徐正源の名前を覚えている日本のサッカーファンも多いだろう。1997年9月、W杯予選の日韓戦で後半39分に同点ゴールを叩き込み、日本を崖っぷちへ追い込んだ選手だ(日本は結局2対1で逆転負けしてしまった)。彼の高速ドリブルに、日本の守備陣は何度も悩まされた。
その後、徐正源は98年にフランスのストラスブールでプレーし、99年に韓国に戻って水原サムスンで現役を終えようとしていた。だが、今年になって、彼はひとつの計画を思いつく。
「欧州リーグで、コーチ修行をしてみたい」
そこで彼はオーストリア・リーグに行き、ちょっとだけ選手生活を続けて言葉を覚え、現地でコーチ修行に入ろうと思ったのである。
しかし、彼の体は、まだまだ休むことを許さなかった。引退するどころか、2005年2〜5月は名門ザルツブルクで12試合に出場して2得点。すると今季は、2部から昇格したSVリードに主力として招かれた。今季、徐正源は7月30日の第4節まで、すべての試合で先発出場している。
オーストリア・リーグは地味だが、決してレベルは低くない。チェコ代表FWのロクベンツがザルツブルクで、将来ドイツ代表として期待されるホフマンがラピッド・ウィーンでプレーしている。チェコや東欧の選手が多く流れ込んでおり、アジアの選手が簡単に活躍できるような甘いリーグではない。まして35歳のオヤジ選手が───。
最近の日本代表の“国内組”をみると、ヨーロッパに飛び出すより、Jリーグに留まることを選ぶ選手が増えた。ボルシアMG(ドイツ)から熱心なオファーを受けた中沢佑二、カリアリ(イタリア)から獲得のFAXが届いた福西崇史、グルノーブル(フランス2部)からオファーを受けた阿部勇樹……。確かに来年のW杯のことを考えれば、ヨーロッパにチャレンジするより国内にいた方が、主力組にとってはレギュラーの座を失うリスクが少なくなるし、若手にとっては召集される機会が増える。4年に1度の大会に“出る”ためには、失敗は許されないから、慎重になるのは当たり前だろう。
でも、そんなニュースを聞くと、どこか不安になってしまう。地位を失うことを恐れて次のステップに進めない人間が、果たして海千山千のツワモノがそろうW杯で活躍できるのだろうか、と。
35歳の徐正源に限らず、韓国の選手はKリーグが経済的に小規模なこともあって、どんどん国外に出て行く。その一方で日本はというと……Jリーグが金銭面も人気もそこそこのリーグに成長したことで、昔に比べて冒険に踏み出すことができない選手が増え始めた。
10年後、日本と韓国、どっちの国が強くなっているか。サッカーがリスクを犯すことが求められるスポーツであることを考えると、おのずと答えは出てくる。まだまだ日本サッカーは、こじんまりと小さくまとまってしまうのには早いと思うのだが。