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和泉流二十世宗家の「人生劇場」 

text by

丸井乙生

丸井乙生Itsuki Marui

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photograph byTadahiko Shimazaki

posted2005/11/14 00:00

和泉流二十世宗家の「人生劇場」<Number Web> photograph by Tadahiko Shimazaki

 ツッコミどころの多い人生を送ってきました。あれは3年前。ダブルブッキングの常習犯と言われ、ワイドショーを賑わせました。言いがかりです。岐阜県可児市から東京都新宿区までの400キロ超、ヘリコプターと小型ジェット機で移動して、両公演にキッチリ出演いたしました。ダブルブッキングではなく「掛け持ち」であります。赤字は出たけど。

 その余波なのでしょうか。01年にNHKの大河ドラマで主役を張った私が、その翌02年には諸事情により、能楽協会から除名処分を受けました。いいのいいの、和泉流二十世宗家はこんな事ではくじけないの。あれから、室町時代以降600年続く伝統のエンターテイナー・狂言師として精進して参りましたが、このたび、プロレスのニューウエーブイベント「ハッスル」という平成のエンターテインメントに挑戦したいと存じ奉ります。また、ワイドショーをお騒がせします。「3年殺し」みたいで、申し訳ございません。

 と、和泉元彌は一切言っていないが、実にツッコミどころが多い人種であることは間違いない。今年11月3日に「ハッスル」でプロレスデビューを果たしたが、それ以前の騒動なくして参戦はあり得なかっただろう。世の中の人間をツッコミ、ボケ体質に大別するならば、人生を真剣にボケ続ける人ほど、プロレス界と紙一重である事を改めて証明してくれた。

 さて、当日である。会場入口のグッズ売り場からしてトボケていた。敏腕プロデューサーの母・節子さんの愛称「セッチー」が冠された「セッチー鬼瓦煎餅」が販売されている。自分の顔を鬼瓦に模した自虐的なこの煎餅、プロレスデビューのために急きょ作製したものではない。関係者によると、狂言界で以前から受注生産されていたという。受注生産。需要と供給のバランスによって成り立つ資本主義の根底を揺るがしかねない煎餅だった。

 いざ、入場である。節子さんが後援会の人々を引き連れ、ジュディ・オングの名曲「魅せられて」をバックにリングを取り囲む。怪しきものに魅入られたような気がしないでもないが、とりあえず元彌の姿はない。また、ダブルブッキングかと思いきや、ヘリコプターの音がする。バサラ大名もビックリのド派手衣装をまとった元彌が天井に出現。縄ばしごにぶら下がりつつ、スーパー歌舞伎級の入場を果たし、狂言流の口上を述べた。

 「和泉元彌でござる。遅刻もダブルブッキングもござらぬ。開場前から、ずーっと上で待っていたのでござる」。本当にご苦労様です。

 花道に飛来し、すり足でリングへ歩み寄る。すると、いきなりポンと飛び上がり、あぐらをかいた状態でストンと落下した。その所作の美しさ。ワイドショーでしか元彌を見たことがない人々が、「本物」を感じ取った瞬間だった。

 それではリング上です。身長1メートル63の元彌の相手は、世界最大の米国プロレス団体「WWE」で活躍した鈴木健想。元彌はリングイン早々、袖を翻して殴りにかかったが、ぺシペシと叩いてみたところで何も解決しない。逆にネックハンギングでつり上げられた姿は、捕獲された宇宙人に他ならなかった。結局、相手の同士討ちに助けられ、その隙に鈴木の脳天めがけて「空中元彌チョップ」をチョチョンがチョン。プロレスデビュー戦にして初勝利を手にしたわけだが、「強い弱い」を超越した歴史的一戦となった。

 そもそも、今回のプロレス参戦は、7月に逝去した故橋本真也氏が取り持った縁だ。小川直也と共にハッスルで活躍していた故橋本氏と飛行機で隣同士に乗り合わせ、「同じ四角い舞台で表現するもの同士、何か一緒に作ることができればいいね」と名刺を渡されていた。

 母・節子さんは、故橋本さんと同じ岐阜県の出身。母方の先祖は豊臣秀吉の軍師だった竹中半兵衛といわれ、和泉流十九世宗家の故和泉元秀氏と見合い結婚した。その媒酌人が、尾張徳川家当主の故徳川義親氏だという。故橋本氏は「オレは織田信長の生まれ変わり」と主張していたため、今回のハッスルが期せずして「ホトトギス全員集合」になっていた事は、あまり知られていない。

 プロレスラーは、いついかなる時、どこにいても24時間プロレスラー。生きる姿自体が、エンターテイメントとされている。人生に次々と愉快な事象が転がり込んでくる和泉流二十世宗家・和泉元彌も、その点では立派なプロレスラーだった。

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