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柴田亜衣は、自己ベストのために泳いでいる。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJMPA
posted2008/07/24 18:39
4年前の夏の日。自由形800mで彼女が手にした金メダルは、日本競泳女子初の自由形でのメダルだった。
あれから4年。柴田亜衣は金メダリストの肩書きを背負い、いつもメダルを期待されながら大会に臨んできた。それに応えるように国際大会で常に表彰台に登り、世界のトップスイマーの一人に名を連ねてきた。
だが、苦悩の表情を浮かべることも少なくはなかった。
「目標にしているタイムが切れると嬉しい」
その一心で激しい練習をこなし栄光をつかんでから今日まで、彼女を泳ぎに駆り立ててきたものは何だったのか。
──北京五輪代表選考会だった4月の日本選手権のことから聞かせてください。最初の種目400m、優勝したものの派遣標準記録を破れず、代表入りを決められませんでした。
「かなりショックでしたね。落ち込まないほうがおかしい、という感じの結果だったので、その日は落ち込みました」
──3日後の800mは、表情ががらっと変わった印象がありました。
「あれこれ考えても400mは過ぎたことだし、800mから逃げるわけにもいかないからやるしかないと思った。400mのときは調子があまり良くなく不安でしたし、オリンピックに行かなきゃいけないってガチガチになってたかなと思います。でも鹿屋体育大学の後輩の高桑(健・200m個人メドレー代表)たちのレースを見て、オリンピックは自分が行きたいと思って行くところだと気づいたんです。まわりのことは考えずに、『オリンピックに行ってやる』っていう気持ちだけを強く持とうと思いました」
──800mの決勝で招集所から入場するとき、観客席へ向かって笑って手を振りました。
「鹿屋の応援団には笑顔を作ろうと思っていて。でもあとでテレビを見ると、ほかのところは険しい表情をしてました(笑)。たぶん今まででいちばん緊張したレースですね」
──追い込まれていた?
「そうですね」
──結果、800mでは無事、派遣標準記録を破りました。ところで、選手権の最初のレースのときに、「行かなきゃいけないんだという気持ちがあった」と言いましたが、アテネのあと金メダリストという肩書きをもって泳いできました。重荷になったことは。
「……ないわけじゃないですね。結果を出さなきゃいけないと思わないようにしようとしても、どの大会に行ってもメダルを期待されているのはわかりますし。
なかなか北島(康介)君みたいにはうまくはいかないですね。北島君は自分で『金メダルを獲る』と言うことで、金メダリストであることをうまく自分の力に変える。すごいなって思う。自分もそうできればいいんですけど。私も金メダリストと言われればそうなんですけれども、自分のなかではあまりまだきちんと受け止められてないのかな、という部分もありますね」
──受け止められていない、というと。
「世界一と言われるんですけど、自分の中では全然世界一じゃないし、他の金メダリストの人とは違うなと思っちゃう」
──「本当はアテネでやめるつもりだった」と4年前に言っていましたが、続ける決断をした理由は。
「日本選手権に勝って日本一になったことがなかったし、日本記録も持っていなかったこと。それにアテネのレースが終わったあとに泳ぐのは楽しいなってすごい思った」
──アテネの次のシーズンには北京でまた金メダル取りますと言っていましたね。
「……記者の方にいろいろ質問されるじゃないですか。『金メダル取ります』って言ってほしいんだろうなあって感じるんですね。だから言わなきゃいけないのかなって(笑)」
──言わされていた部分もある?
「そうですね。金メダルを取りたいっていう気持ちがないわけではないですけど。でも(金メダルと)言うことで自分にプレッシャーを与えてるのかなって思ったんです。だから『メダルを獲ります』とはもう言わないようにしよう、『ベストを出す』ってずっと言い続けようと思って……だから私の話は面白くないんですね(笑)」
──それで「タイムを目標にする」と発言が変化してきたのですね。
「メダルを意識するといい泳ぎができないということが分かりましたから。タイムを意識するほうが思うようなレースができたし、自己ベストも出せた」
──そういえばアテネまでの水泳の日々について、「タイムが伸びるのが嬉しかった。タイムを目標に泳ぎ続けてきた」と言っていましたね。その頃とアテネ後の4年間に違いは。
「あると思いますね。……アテネまではメダルなんて考えたことはなかったし、選考会も全然プレッシャーなく泳げた。でも今回は、アテネ後も国際大会でメダルは取り続けているし、まわりの人たちも絶対に私は行けるだろうと思っている。でも実際は行けなかったらどうしようと考えていて、選考会ってこんなに苦しい大会だったのかと思いました。4年前と全然違ってましたね」
(以下、Number708号へ)