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中竹竜二 信は力なり。
text by
時見宗和Munekazu Tokimi
photograph byYoshiyuki Mizuno
posted2009/02/12 00:00
しかし3年前、名将・清宮克幸の後を受け監督に就任した中竹を待ち構えていたのは、予想以上の逆風だった――。
「監督をやるのは自分の人生において一度だけ。その一度にすべてをかけて出し切る。それが思うことのすべてです」
1973年(昭和48年)生まれ、35歳。昨年創部90周年を迎えた早稲田大学ラグビー蹴球部監督、中竹竜二は、まるで気負いの感じられない、おだやかな口調で続けた。
「監督の座から離れたら二度ともどってくるつもりはないし、ラグビー界に居つづけようとも考えていません」
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'06年に監督に就任。初年度は大学選手権準優勝に終わったが、2年目は覇権を奪回し、3年目の今シーズン、連覇を達成。振り返ると順調に監督としての実績を積み重ねてきているように見える。そう問いかけると、中竹はまったく迷わずに否定した。
「1年1年が勝負。毎年、シーズン終了後に辞めることを当然のことと考えてやってきました。3年かけてこうしようという発想はまったくありませんでしたし、もし、そういう考えだったら、今年のような戦力では優勝できなかったと思います」
初年度、準優勝に終わったあと、早くも更迭の声が上がったと聞いています。もしあのときに辞めることになっていたら、なにが残ったのでしょう。
「なにも残りません。2年目も今年も大学選手権決勝で負けていたらなにも残らない。早稲田の場合、準優勝は“低迷”ですから、監督が全否定されるのは当然のことです」
グッド・ルーザーという発想はない。
「はい。『勝ち』以上に優先されるものはありません。『負けたけれど立派だった』といういいわけができないし、だから在り方がぶれることもない。勝つことの一点に集中することによって、結果的に文武両道や人材育成になると思うんです。それが早稲田ラグビーの文化だといってよいと思います」
1年1年が勝負であり、優勝できなければ全否定。監督は職業になりますか?
おだやかな即答。
「少なくとも早稲田では職業にはなりえないし、天才でない限り、本気で打ち込んだら3年から5年が限度だと思います」
'96年度のラグビー部主将として大学選手権準優勝。卒業後、ラグビーの第一線から離れた中竹は英国留学を経て、三菱総合研究所に入社。かねてからの希望だった「人を育てる分野」の仕事を開拓していった。
「あと1年でオレは早稲田の監督を引退するつもりだけど、次期監督候補としておまえを考えているんだ」
前監督、清宮克幸(現サントリーサンゴリアス監督)から電話がかかってきたのは、'05年4月のことだった。就職して5年目、自ら手がけたプロジェクトが成功。一気に仕事と人脈が広がり、顔色がわるくなるほど忙しい日々が続いていたときだった。