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岡崎朋美 四度目の余裕。
text by
吉井妙子Taeko Yoshii
posted2006/02/09 00:00
〈人生は一冊の書物に似ている。愚かなものはそれをぺらぺらめくるが、賢いものは丹念に読む〉──ジャン・パウル
岡崎朋美の試合に立会い、練習を見学し、レース後のコメントを聞き、そしてプライベートで話し合ったりしていると、ドイツのこの作家の言葉が時折脳裏を掠める。岡崎ほど丁寧に人生のページをめくっている人を、私はあまり知らない。
長年、「最速男」として世界のスケート界に君臨してきた清水宏保も、最近になって改めて岡崎の凄さに気づかされたという。
「34歳になった今も、世界のトップクラスにつけていることが凄いんじゃないんです。ブレない精神というか、スケート以外のことに一滴も無駄なエネルギーを使っていない。年齢を重ねれば知識も増えるし、慣れも生まれるし、いろんな外部の情報も届く。精神に垢がついてしまうのは仕方がないんだけど、岡崎さんにはそれがない。競技に対する姿勢は、スケートを始めたころとまったく変わっていないんじゃないかな。初心のままでいられることが、実は一番難しいことだと思う」
リレハンメル、長野、ソルトレイクに続き、4度目の五輪出場を決めた岡崎は、たぎる闘争心を笑顔で隠し、いつもと変わらない穏やかな表情をしていた。
「トリノ五輪は、これまでの大会で最もいい状態で迎えられますね。身体も問題ないし、気持ちも充実しています」
五輪出場の選考会を兼ねた全日本スプリント選手権が昨年末に行われ、岡崎は500mと1000mで内定を決めた。試合終了後、トリノW杯ですでに500m、1000mで内定を決めていた吉井小百合、500mの大菅小百合、1000mで出場する外ノ池亜希とともに、共同記者会見に出席した。「ライバルは誰か」という質問に対し、他の3人が中国の王曼利、王北星、ドイツのウォルフ、イタリアのシミオナート、ロシアのズロワ、アメリカのウィッティなどの名をあげるなか、最後にマイクを持った岡崎は、そんなライバルたちの弱点などを指摘しながら「残るは、王曼利ですかね」と言い切った。
一瞬リップサービスかなとも思ったが、岡崎には確固たる裏づけがあってのことだった。
その2週間前の12月中旬、トリノの五輪会場でW杯が行われた。選手はみな、「仮想トリノ五輪」の姿勢で臨んだ。岡崎は初日に38秒57で3位、2日目は38秒65で2位、総合で2位につけた。それでも、80%の力しか出していないと小さく舌を出した。
「ピークを作るのは今じゃない。まずは、トリノのリンクの特徴を掴むのに専念しました。長野のエムウェーブと会場の雰囲気も氷の特性も似ている。好きなリンクですね。これだったらもう一度、エムウェーブで行われるスプリント選手権で五輪への実験ができる」
トリノは初めてという岡崎は、この街の雰囲気も気に入っていた。
「1週間前にトリノに入ったので、休みの日に郊外に出かけたんです。山並みの美しさと降ってくるような星の輝きに、すっかり魅了されてしまいました。W杯や世界大会などでいろんな都市を転戦しましたけど、住んでもいいかなと思ったのはトリノが初めてです」
イタリアファッションがいいとか、食事が美味しいという理由をあげないところが、いかにも岡崎らしかった。
五輪の前哨戦でもあるこの大会には日本から大勢の報道陣が駆けつけた。その数50人以上。五輪シーズンになると初めてスピードスケートを担当する記者が急に増える。選手がメディアと接するミックスゾーンは、報道合戦が始まりささくれ立った空気が生まれていた。そんな雰囲気を感じ取った選手たちは、最小限のコメントを残し、一刻も早く控え室に戻ろうとする。顔は報道陣の方に向けながら、足は出口の方に向いているのだ。
そんななか、岡崎は初歩的な質問にも丁寧に答えていた。コメントを終えても、まだ納得できないような記者がいると隅に呼び「これがブレード(刃)。一直線に見えるかもしれないけどわずかにカーブがかかっていて、その頂点をロックというんですよ」と、自分の靴を教材にしながらスケートの講義を始めた。話を終えた選手が、岡崎の後ろを何人通り過ぎたか分からない。照れ笑いしながら言う。
「だってスピードスケートのことをたくさんの人にわかってもらいたいじゃないですか」
トリノのリンクがエムウェーブと似ていると察した岡崎は、メダルをより確実なものにするため、12月末の全日本スプリント選手権で3つのチェックポイントを確認しようとしていた。スタートとストレートのストライド、そしてコーナーでの左足の位置である。
岡崎のスタートの上手さは、女子ではトップクラス。フライングギリギリに飛び出す瞬発力と判断力は、身体の強さと感覚の鋭さから生まれたものだ。だが時として、研ぎすぎたナイフが自分を傷つけてしまうように、大きな落とし穴になってしまうこともある。
「同走者が反応の遅い人だと、私がどんなに正確にスタートしてもフライングを取られてしまうんですよ。スターターは見た目で判断してしまいますからね」
大会初日、インスタートだった岡崎は号砲の前にわずかに身体が動き、フライングを取られた。2回犯せば失格になる。それは、トリノへの道が絶たれることを意味していた。安全にいっても不思議ではなかった。だが、ピストルの音と同時に飛び出す。100mのラップが10秒3。トリノでは10秒4だったことを考えると大幅な加速力アップだ。
ストレートの滑りにも力感があった。ストライドが大きく、氷に足が乗っていた。
「ちょっと表現が難しいですけど、ブレードが氷に刺さる前に引くようにするんです。この感覚を確認できたのは大きい」
長野五輪前に、当時の長野県知事が「スピードスケートはミズスマシを見ているようで面白みがない」と発言し顰蹙を買ったが、まさに水の表面張力を利用して前に進む“氷上のミズスマシ”のような滑りである。
岡崎の最大の課題はコーナーだった。骨格の特性から、左膝がどうしても内側に入ってしまい、スピードにブレーキがかかる。そのため、左足に意識を集中していないと癖が出てしまうのだ。意識しないで滑れるようになれば課題を克服したことになる。大会後、岡崎はあっけらかんと言った。
「あ、忘れていました」
(以下、Number646号へ)