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数々の異名に彩られた山内一弘の生涯。
text by
永谷脩Osamu Nagatani
posted2009/02/26 00:00
今年から米国ルーキーリーグのコーチに就任する山下大輔(元横浜監督)。山下のために有志が集まって「アメリカに送る会」を開いた時、参加していた中西太(元西鉄・阪神監督)がこんなことを言っていた。「ワシもよう喋るが、ワシよりも喋りだしたら止まらんのが山さんだ(山内一弘=元ロッテ・中日監督)。最近、顔を見んが元気にしているんか」と随分気にしていたことを、訃報に接してふと思い出した。
その山内が肝不全で亡くなったのは、キャンプ開始直後の2月2日のことだった。現役時代、'65年にプロ野球史上初の300本塁打を記録。'67年には川上哲治(元巨人)に次ぐ史上2人目の2000本安打を達成。毎日(現ロッテ)・阪神・広島で活躍し「シュート打ちの名人」、あるいは3度のオールスターMVPを獲得した「初代お祭り男」等の異名をとった大打者であった。特に内角球に対してヒジを折りたたんで振り出す独特の打法は、神様・仏様・稲尾様と呼ばれた稲尾和久をして「職人」と言わしめたほどだった。