野ボール横丁BACK NUMBER
過大な夢を背負ってのプロデビュー。
日ハム・斎藤佑樹の初勝利を考える。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKYODO
posted2011/04/18 12:20
ウイニングボールを手にして梨田昌孝監督と共に喜ぶ斎藤佑樹。「いい緊張感の中、投げられました。コントロールなどの内容はよくなかったけど、自分なりに最善は尽くせました」とコメント
6回のマウンドには、もう斎藤佑樹の姿はなかった。
4月17日の斎藤のデビュー戦は、5回4失点。2つのエラーが絡んだため自責は1だが、ある選手は「あれはエラーじゃないんじゃないの」と言うように、いずれも微妙な判定だった。千葉ロッテの打撃コーチ、金森栄治は「佑ちゃんワールドに引きこまれたかな」と苦笑する。
結果的にチームは8-4で勝利し、斎藤は記念すべきプロ初勝利を飾った。
ただし、消化不良といえば、そうだった。これでは大学時代と同じではないか、と。早大でも、危なくなるとすぐにストッパーの大石達也(西武)が出てきた。
だが、冷静に考えれば、同じなわけがない。斎藤が今いるのはプロの世界だ。紛う方なき日本の最高峰である。
そう考えると、硬くなっていた筆者の感情も少しずつほぐれてきた。
大学時代、斎藤が悩み続けていたのは「周りの評価と、自分の実力のギャップ」だった。
斎藤はともすれば傲慢ともとれるほどの自信家である。だがそう見えるのは、自分の弱さを補おうと意識的に演じているからであって、自分がそこまで騒がれ期待されるほどの選手ではないことは本人がいちばんよく自覚していた。
斎藤は松坂やダルビッシュ、田中のような「怪物」ではない。
大学3年時、フォームを崩し、スランプに陥ったときは、斎藤はもうプロに行くことさえ無理なのではないかと思わせた。
斎藤は、松坂大輔(レッドソックス)やダルビッシュ有(日本ハム)や田中将大(楽天)のような、分かりやすい「怪物」ではない。
大学時代の一時期、斎藤が通う鍼灸院で何度か彼に話を聞いていたことがあるのだが、そのとき、斎藤を初めて見た他の来院者の第一声のほとんどが「小さい!」だった。これほどの有名人でありながら、街中を歩いていても「意外と気づかれない」そうだが、それはそのせいだ。
決してものすごいボールを持っているわけではないのだ。そのハンディをコントロールと、類い希な感性で補っていたのだ。