巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER

落合博満の告白「泣くつもりは全然なかった」まさか…40歳落合が3万5000人の前で泣いた日「巨人1年目の落合は“期待外れ”だったのか?」

posted2024/01/28 11:03

 
落合博満の告白「泣くつもりは全然なかった」まさか…40歳落合が3万5000人の前で泣いた日「巨人1年目の落合は“期待外れ”だったのか?」<Number Web> photograph by KYODO

1994年、伝説の試合「10.8決戦」。祝勝会、長嶋茂雄監督の横にはホッとした表情の落合博満がいた

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。連載第12回(前編・中編・後編)、伝説の「10.8決戦」がついに決着する。アクシデントで緊急交代した落合博満。試合後にまさかの涙を見せた。【連載第12回の後編/前編中編へ】

◆◆◆

<「オレは出るから!」3回裏、左太もものケガをした落合博満。痛み止め注射を打ち、なんとかプレーを続行したが、チームのため自ら交代を申し出る。>

「落合はケガをしてもまた出てきた。この落合を見ていたらファンも文句はいわないでしょう」と翌シーズンからダイエーの監督に就任する王貞治は、40歳の四番打者の気迫を称えた。やれるだけのことはやったという思いを抱きながらも、味方の勝利を願いモニターを見つめる傷だらけの背番号60の姿。

「3回に一・二塁間のゴロを捕りに行って左の内転筋を痛めたんです。優勝戦じゃなかったら逆シングルでいっていたと思う。変なところで体張っちゃったのね。あの試合、立浪もファーストにヘッドスライディングして、肩を脱臼したでしょう。同率で迎えた最終戦の直接対決なんて、あれが最初で最後だと思うから、『これぞ野球』というゲームをやれた。俺が野球をやった中でも、一番お客さんを喜ばせたゲームだったんじゃないかな」(VHS「長嶋茂雄 第三巻 背番号33の時代」/メディアファクトリー)

 試合は5回にも、「一発狙っていけ」とミスターから激励された松井の20号ソロアーチでリードを広げた巨人が槙原、斎藤と繋ぎ、そして7回からは桑田真澄と三本柱を惜しみなく投入。6対3で逃げ切り、長嶋監督は17年ぶりの胴上げで5度宙に舞った。18時に始まり、21時22分に終わった世紀の一戦のテレビ視聴率はプロ野球史上最高の48.8%まで跳ね上がり、瞬間最大67%を記録。まさにミスターの宣言通り「国民的行事」となった。

「泣くつもりは全然なかった」

 その主役の長嶋茂雄が胴上げされているのを、落合は移籍前に「背番号6」を巡り確執も報じられた篠塚和典と並んで、歓喜の輪の外から笑顔で見届けていたが、直後にグラウンド上で長嶋監督と固く抱き合うと、真っ赤な目をして涙をぬぐった。死にたいくらいに憧れたミスターから「オチ、ありがとう」と感謝を伝えられ、あの個人主義で、孤高の一匹狼といわれたオレ流が、人目もはばからず泣いていたのだ。

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