巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
巨人OBが怒り「まず落合を切れ」落合博満40歳が巨人1年目で四番を外された試合…代役は松井秀喜でも原辰徳でもなかった「落合さん、すみません」
posted2024/01/14 11:00
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Sankei Shimbun
40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。連載第11回(前編・後編)、優勝へ余裕と思われた巨人がピンチに……。1年目の落合博満にOBから批判が浴びせられる。【連載第11回の前編/後編も公開中】
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。連載第11回(前編・後編)、優勝へ余裕と思われた巨人がピンチに……。1年目の落合博満にOBから批判が浴びせられる。【連載第11回の前編/後編も公開中】
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ナベツネのため息「何で、あんなに打てねえんだ」
「何で、あんなに打てねえんだ。気力も体力も充実している舞の海を1番(打者)にしたらどうか」(週刊現代1994年9月22日号)
1994(平成6)年9月5日、両国国技館での横審稽古総見に出席した読売新聞社の渡邉恒雄社長は、そう連敗中の巨人の貧打を嘆いてみせた。開幕から首位を走り、7月には一時2位に9.5ゲーム差をつけ独走状態で、そごうデパートも「ナイターで優勝決定なら翌日から。デーゲームなら、その瞬間からバーゲンに入ります」とVバーゲン宣言までするほどだった。しかし、8月下旬から8連敗を喫すると、その間に広島が10連勝と猛追。7月7日の時点で首位巨人に15.5ゲーム差も離され、最下位だった赤ヘル軍団は気がつけば2位に急浮上。9月上旬には3ゲーム差にまで迫っていた。
長嶋監督は「落合を見てホッとした」
まさかの巨人急失速。優勝マジックが消えた翌日の8月31日には、長嶋監督が「君たちはとにかくグラウンドで思い切ってプレーしてくれ! 勝敗の責任は監督であるオレが持つ!」と背中を押すも、負けが込む内にベンチの雰囲気は暗くなる一方だ。そんな中、ひとり通常運転だったのが、落合博満である。8月16日に中日の郭源治から左手首に死球を受け、痛みが長引き打撃の調子を崩していたオレ流だったが、いつもと変わらない様子で試合に出続けた。